『華氏451度』感想

前書き

この記事にはネタバレが含まれています。

先日『華氏451度』を読み終えたので、今回は自分がこの作品を読み進めるなかで印象的であったことを中心にまとめていきたいと思います。

以下では本題に移る前にまず簡単なあらすじの確認から始めます。

 

あらすじ

 

指定された書物の焼却を仕事とする焚書官のモンターグは、ある日の帰路にてクラリスという名前の少女と出会い、以降彼女と交流を重ねる過程で自身の置かれている現状に徐々に疑問を抱き始める。そして、モンターグは好奇心から何冊かの本を読み進めていくことになり、やがてはその行動が彼の環境を大きく変えることとなる・・・

 

舞台はテレビやラジオなどのメディアが主流なものとして台頭している社会で、指定された書物は所持することを禁止されており、所持が発覚し次第焚書官がそれらの書物を焼却するというシステムが成立していることから、メディアとしての書物はすっかり後景に退いています。

 

以上が大まかなあらすじとなります。以下では印象的であったことをいくつかのトピックに分けて確認していきます。

 

1コミュニケーションの様態の変化

 

モンターグにはミルドレッドという名前の妻がおり、彼女はラウンジ壁と巻貝という二つのメディアに執心しています。そして、ラウンジ壁とラジオはそれぞれがテレビとラジオに相当するもので、作中の描写(以下引用)から彼女が日頃よりそれらのメディアに親しんでいることが伺えます。

 

 

巻貝で十年の訓練を積んでいるので、ミルドレッドは読唇術のエキスパートである。[i]

 

 

印象的であった点は、彼女とのコミュニケーションが、身近にいながらも意識は別の方向を向いているという点から一方向的なものとして描かれている点にありました。

そのような点はモンターグにも意識されていて、いくつかの描写(以下引用)からそれが伺えます。

 

 

さて、そのあたりを考えだすと、そもそもミルドレッドと自分とのあいだには壁がある。文字通りの壁、一枚どころか、いまや三枚だ![ii]

 

 

 

「もう誰もぼくの話など聞いてくれません。壁に向かってはしゃべれない。向こうがぼくに向かってわめくだけですからね。妻とも話せない。妻は壁の言うことしか耳に入らないんです。」[iii]

 

 

以上の二つの描写に見られるように、モンターグは彼女とのコミュニケーションが一方向的なものであることを意識しています、そして、このようなコミュニケーションの様態の端緒にラウンジ壁や巻貝などのメディアが台頭していることが位置付けられているように思われました。

 

2書物の位置付けについて

 

クラリスとの出会いを契機に現状に疑問を抱くようになったモンターグは、やがて書物に触れるようになるのですが、そのような彼が書物に寄せる思いは以下のような箇所に現れているように思われます。

 

 

「・・・だから、本が助けになるかもしれないと思ったんです。」[iv]

 

 

モンターグは、それまでに現状に疑問を抱くことのなかった自分が書物に触れることで新しい視座を得ることができると期待している節があり、そのような彼は書物のことをある意味で啓発的なものと見なしているように思われます(そして、このような彼の意識は後に妻の知人に詩を朗読することで彼女たちの意識を改革せしめんとするシーンに現れているように思われます。)ですが、このように述べる彼にフェーバーという教授は以下のように返答します。

 

「・・・書物には魔術的なところなど微塵もない。」[v]

 

ここでは、モンターグが書物に寄せている期待が否定されています。そして、本作品では書物が禁止された社会で書物に触れていく焚書官を視点に話が展開されていきながらも、先一連の描写から書物を過信することの危うさについても描かれています。また、このことは前述したラウンジ壁(テレビ)や巻貝(ラジオ)によるコミュニケーションの様態の変化が描かれており、それらのメディアがある意味批判的に描かれていることも踏まえると、本というメディアをする過信ことの危うさについても触れられているという点で巧妙なバランスであるように思われました。

 

総括

著者の名前自体は知っているものの過去に氏の著作に触れた経験がなく、『華氏451度』が初めて触れる作品でしたが、抒情的な筆致が印象的な作品でもありました。氏の短編集にも触れてみたいので、今後は『刺青の男』か『太陽の黄金の林檎』を読み進めたい。

 

 

 

[i] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p33

[ii] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p75

[iii] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p137

[iv] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p138

[v] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p138

 

『きっと、澄みわたる朝色よりも、』感想

 

前書き

 この記事にはネタバレが含まれています

きっと、澄みわたる朝色よりも、』では、疎遠となってしまった幼馴染らが関係を再構築しつつ、学園祭の作品制作に取り組むという筋立てと学園祭の終了後に学園に「病」が蔓延し、そのなかで彼らがどのように振る舞うのかという二つの筋立てがあるように思われます。当記事は、はじめに彼らの関係への推移とその背景がどのように描かれているかを中心に確認し、次に後者の筋立てに認められるキーフレーズ、「優しさ」がどのように描かれているかについての確認を進めるという構成とります。

また『きっと、澄みわたる朝色よりも、』は四つのパートで構成されていて、各パートを終える毎に次のパートが追加されていく形式がとられています。また、各パートにはそれぞれ異なる表題が割り振られていますが、便宜上それぞれのパートを①②③④と表記します。

 

あらすじ

はじめに、大まかなあらすじを確認するところから始めます。

 

芸術家を志望する学生が集う名門として夢見鳥学園に途中入学した崇笹丸(以下笹丸)は、そこで三人の幼馴染と再会することとなる。笹丸は家庭の事情で幼馴染の三人と距離を置かざるをえなくなって以来、幼馴染の一人、与神ひよ(以下ひよ)と文通を続けていた。そして、送られてきた手紙のなかに皆も夢見鳥学園に進学しており、再会できることを心待ちにしているという旨が書かれていたことから、笹丸もまた再会の日を心待ちにしていた。しかし、再会を果たした彼女たちはひよを除き、それぞれがぎこちない態度をとる。笹丸はそのことに少なからぬショックを受けるも、この学園で彼女たちと関係を再び築きあげることを決意する。そして、学園祭での作品制作に意識を傾けていく。

 

以上が、OP部分までのあらすじになります。そして、ここからは学園祭での作品制作を中心に彼女たちとの関係性の推移が描かれていくこととなります。次にそちらについてもあらすじを纏めますと

 

例年、学園祭ではクラス単位で作品制作に取り組むこととなっており、笹丸たちが所属する赤組もその慣例に従うはずであったが、ぎこちない態度をとっていた彼女たちは笹丸ら(ひよ・笹丸)とは別々に作品制作に取り組むと宣言する。笹丸らは、二人ながらも日々作品制作に取り組み続け、その姿勢に感化された彼女たちも笹丸らの作品制作に協力する姿勢を見せていき、ぎこちなさがあった四人の関係も良好となっていく。そのようななかで樫春告(以下春告)とのふとした会話のなかにあった「」という言葉から、笹丸は夢乃蘭(以下蘭)のことを意識し始める。そして、作品制作の進行も順調であるかのように思われたが、期日の直前に笹丸は作品のパーツが必要数に達していないことに気付く。そのミスは自身の数え違いによるもので負い目のある笹丸は残りのパーツの制作に尽力する。また、笹丸の異変に気が付いた蘭も作品制作に助力するも、期日には間に合わずに彼女たちの作品制作は失敗に終わった。

 

前述した①のあらすじに見られるように、①では「学園祭の作品制作」と「幼馴染との関係性の推移」という二つの事柄を中心に話が展開されていきます。そこで二つの事柄が作中でどのように描かれているかを確認するにあたって、まず笹丸と三人の幼馴染は過去にどのような経緯で友人となるにいたったのか、また彼らが云うところの「四君子」が成立した経緯を整理することから始めます。

 

はじめに、彼らがどのような経緯で友人なるに至ったかについてですが、その経緯には笹丸とひよのそれぞれが抱えていた事情が大きく関わってくるため、それについての簡潔な確認から始めます。

 

笹丸の実家はかつて高名な家系であったが、現在では衰退の一途を辿っているという背景があります。そのような背景があるなかで、笹丸の父親は崇家が衰退の一途を辿っているという事実を許容出来ずにいて、あわよくば返り咲こうと考えています。そして、この父親に関わることとして、笹丸は幼少期から父親による虐待を受けていて(作中で言及されている例ですと稽古の名目で暴力を受けるなどが挙げられます。)そのなかで「お前が悪いんだ」といった謗りを受けていたという過去があります。そのような環境下に日常的に置かれていたこともあって、当時の彼は自分が悪い子で学校にいる他の子たちは良い子である。そして悪い子の自分が良い子の皆と関わるようなことはあってはならないと考えていました。この考えの根幹は彼が悪い子を黒、良い子を白と色で形容しているところに顕著に現れているように思われます。つまり、朱に交われば赤くなるにあるように黒(悪い子)の自分と関わることで白(良い子)の皆も黒(悪い子)になってしまうことを危惧しており、そのために皆と関わることを避けていたと言えるでしょう。ですが、笹丸は自分が他の皆に関わってはならないと自身を戒めながらも皆と関わりあうこと、ひいては友達になることを希求していました。このような意識は以下の図にある一連のセリフに顕著に現れています。

 

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 そして、このような意識こそが後にひよと笹丸が友人となる契機となるのですが、それに言及する前にひよの抱えていた事情についても確認しておきたいと思います。

 

まず、ひよの実家は医師の家系で医師としての方針の違いから与神家に敵対的な態度をとる肆則家がいるという背景があります。そして、ひよが抱える事情にはこの肆則家が間接的に関わっています。具体的に言えば、彼女の通う学校のクラスメイトのなかに肆則家の娘、肆則のりかと肆則きよがおり、彼女たちは親が与神家にとる敵対的な態度から与神家の人間は悪い人間であると判断し、日常的にひよをいじめていました。そのような日々が続くなか、ひよは彼女たちからのいじめに嫌悪感を覚えつつもそれに抵抗することが出来ず、また家の人間に心配をかけたくないという思いから学校に通い続ける日々が続いていました。

 

ここまでが当時のひよが抱えていた事情についての大まかな内容となります。そして、このような状況下で笹丸がいじめの現場に居合わせたことをきっかけに話が展開されていきます。前述したように、当時の笹丸は悪い子/良い子という判断基準を持ち合わせていて、そのような判断基準を持つ彼からすると良い子であるはずのひよがいじめられている(罰を受けている)という事実はひどく受け入れがたいものでした。そのため、笹丸は肆則姉妹に「そういう罰の対象は僕です」と彼女へのいじめを止めるように進言しました。そして、このことをきっかけに笹丸とひよの交流が始まります。ひよにとって、笹丸はその場のいじめを止めてくれた恩人で以降の彼女は笹丸と友達になろうと積極的に交流を図ります。ですが、笹丸は自分が他の皆に関わってはならないと自身を戒めていたこともあり、彼女からの接触に対しては距離を置いた態度を保ち続けていました。そのような日々が続く中のある日にひよは笹丸に友達になることを提案します。当然、ひよと深く関わることがないように自身を戒めていた笹丸はその提案を拒もうとするも、ひよの言葉から友達が欲しいという抑圧されていた思いが発露します。そして、二人は友達となります。

 

長くなりましたが、ここまでがひよと笹丸の二人が友達となるまでの経緯になります。次いで、春告と蘭が二人の友達となるまでの経緯をまとめたいと思います。

 

当時の春告は笹丸らの一年上の学年に属しており、そこでは他の生徒からも一目置かれるような存在でした(作中ではボスと形容されています)そして、そのような立場にあった春告は一つ下の学年のひよがいじめを受けているという話を耳にしていました。ですが、春告は肆則姉妹らが学園長の娘であるという話も耳にいれており、学園長の娘に反抗的な態度をとることで今の立場を失うことになるかもしれないことを危惧して問題の解決に踏み出せずにいました。そのようななかで笹丸がひよへのいじめを止めたことに感銘を受け、それ以前から交友関係にあった蘭とともに笹丸らのもとに赴き、彼らと友達となりました。

 

以上が笹丸、蘭、ひよ、春告の四人が友達となるまでの大まかな経緯となります。次に「四君子」が成立する経緯についての確認に移ります。

 

まず、四君子とは「デジタル大辞泉」によれば

蘭(らん)のこと。君子をたたえるものとして、東洋画の画題とされる」

という意味で本作品においてもこれと同様の意味で用いられています。そして彼らが「四君子」となるにいたった経緯を確認すると、ある日春告の提案で彼らは山にピクニックへ行くこととなり、そこで昼食をとっている折にひよが口にした言葉がきっかけであるとされています。ひよによれば、蘭(あららぎ)は蘭(らん)と同じ字の名前を有しており、春告は梅の別称である春告草と関わりがある名前を有しているといったようにそれぞれの名前は四君子の草木との共通点が認められると主張します。

そして、当時の笹丸は彼女たちとの交流を重ねるなかで徐々に明るさを獲得しつつあったものの、未だに自身がそのような場にいることにある種の不安を抱いているという状態にありました。そのようななかでひよが口にした言葉は、皆との共通点があると思わせることで笹丸の不安の一端を解消することとなります。ですが、笹丸自身は笹に関わりのある名前を持つ自分は竹とは関わりのないもので、皆の優しさで竹に位置に据えてもらったと考えます。このことは、彼の過去の経験からくる自己評価の低さのよるところが大きいように思われます。そして、ここに見られるような自己評価の低さは現在の彼の行動のいくらかを規定しているところがあり、後々にそのことはある問題が発生することの一端となるのですが、過去の経緯についての確認はここで区切らせていただきます。

 

ひとまず、ここまでの流れを受けたうえで過去のいきさつを確認するにいたった前提に話を戻しますと、パート①以降では(とりわけ①―②)では「幼馴染との関係性の推移」が話の軸の一つとしてあります。以降ではそれについての確認を中心に進めていきますが、そちらに移る前にここまでの要点を確認しますと「幼少期の笹丸は良い子/悪い子という基準を有しており、そのために人と深く交流しないように自身に戒めていた」ことと「笹丸は紛い物の竹である自分は、皆の優しさのおかげで四君子の竹の位置に置かれていると考えている。また、この考えは彼自身の自己評価の低さによるところがある」という二点が挙げられます。このことは、後に取り上げる「幼馴染との関係性の推移」という軸のもとで発生する問題にも関わってくることとなります。

 

さて、次は①―②における「幼馴染との関係性の推移」とそこで発生する問題について触れていきます。まず、①②のいずれにおいても当初は蘭、春告との関係は良好なものではなく、それぞれの経緯は異なるものの彼女たちとの関係性が後々に回復していくという筋立ては共通しています。そして、上述したような過去の経緯についての描写は笹丸が彼女たちとの関係性を回復するべく奮起するという一連の行動に説得力を付与しているように思われます。笹丸は彼女たちと友達になる以前から友達を希求していたという背景があり、以後はそれがかけがえのないものであるからこそ、それを失う・損なうことに強い忌避感を持っていることが過去についての描写などから読み取れます。

 

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上の図における「決して譲れない存在となった」の記述などから、彼は「四君子」という関係性を過去・現在のいずれにおいても重要視していることが読み取れます。このように、彼が「四君子」にかける思いはいくつかの場面で繰り返し言及されており、彼の一連の行動の動機を補強しているように思われました。では、他の四君子についてはどうかと言えば、ひよについては①②ともに学園祭の作品制作を進めつつも、蘭と春告との関係性を回復しようと奔走する笹丸を助けようと努めるというスタンスは共通しており、そのようにひよが笹丸に献身的な態度をとる動機については笹丸と同様に過去・現在の描写のなかで描かれているように思われました。次に当初は笹丸にぎこちない態度をとっていた蘭と春告についてですが、幼少期には笹丸と親しい関係にあった彼女たちがそのような態度をとっていた動機についても蘭の動機は①で春告のそれは②で明示されます。そのため、「幼馴染との関係性の推移」という軸にある幼馴染との関係の回復という筋立ては回想シーンも含む各々の心情についての描写によって補強されているように思われました。

 

次に前述しました「幼馴染との関係性の推移」という軸で発生する問題についての確認に移りたいと思います。まず、そこで発生する問題を具体的に述べるならば「幼馴染という関係から恋人関係への推移」であると言えるでしょう。この問題については①②で異なる展開で描かれているものの、いずれにおいても笹丸の性分が問題の根本に深く関わっています。そして、ここにおいても先と同様に回想シーンも含む各々の心情の描写によって、説得力が付与されているように思われました。とりわけ、笹丸の心情や彼の行動原理についての掘り下げは抜きんでているように思われるところがあるものの、一方で蘭の行動原理についての掘り下げはやや不足しているように思われるところも見られました。以降では、いくつかの描写を例に上げつつ、それがどのようにして「幼馴染という関係から恋人関係への推移」における個々人の行動に説得力を付与しているか、また描写が不足しているように思われた点についての確認を進めていきたいと思います。

 

まず、「幼馴染という関係から恋人関係への推移」がどのような意味で問題(解決すべき事柄)として描かれているかについての確認から始めます。そこで問題とされていることはある意味で幼馴染という関係性があるために恋人関係への推移が達成されないことであるように思われます。ですが、各々にとっての問題の在り方が異なって描かれていることもあるため、順番に確認を進めていきます。

 

第一に笹丸にとっての問題を確認すると、鈍感さと強固な仲間意識の二点が挙げられるように思われます。前者の鈍感さについては、自身に向けられる好意や好意からくる行動の背景に想像が及ばないといった点から「幼馴染という関係から恋人関係への推移」においては解消される問題として描かれているところがあります。そして、後者の仲間意識についてはそれを大事に思うあまりに個人としての仲間の思いをあまり見ていないといったように描かれています。この点については以下の図にあるように蘭から指摘を受けています。

 

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では、鈍感さと強固な仲間意識はどのように描かれているかについての確認に移ります。

先に述べましたように、彼の鈍感さは前述したような形で描かれていますがその背景には過去の経験からくる自己評価の低さと相対的な他者評価の高さがあるように思われます。前者の自己評価の低さについては先に⑵で言及したように過去の彼にも認められたもので、それは現在においてもいくつかの描写から認められます。

 

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上の一例での蘭が指摘とそれに対しての笹丸の応答に見られるように彼は自己を低く評価しており、それは表面的には卑屈さとしてではなく過ぎた謙虚さとして描かれているところがあります。そして、彼は自己を低く評価していることから自身に好意が向けられることを前提としていないがために鈍感と形容されるような振る舞いをなす傾向にあると言えるでしょう。

 

次に後者の他者評価の高さについてですが、これはひよと笹丸が交わす問答に認められます。問答とは何かと言えば、これは幼少期に本(百科全書に類するようなもの?)を読んでいることで多くの知識を有しているものの、人とのコミュニケーションの方法に不器用であった笹丸に対し、会話のフックを作れるようにひよが始めたとされています。そして作中でひよと笹丸が雑学についての問答を交わすシーンは随所で見られますが、そのなかの一つに笹丸から投げかけられた問答にひよが対応できずにいて、その後ひよが応答できなかった事柄を図書館で調べるというシーンがあります。このシーンに見られるようにひよは笹丸との問答をこなせるように陰で知識を蓄えるという努力を続けているのですが、そのことに笹丸は気付いていないという状況が認められます。そして、この状況は他者評価の高さによるところが大きいように思われます。何故ならば、他者評価が高いという前提から相手が至らない・不足しているがために努力するという状況の想定が抜け落ちてしまい、そのために気付かないという鈍感と形容できるような振る舞いが生じるからです。

 

以上の点から、彼の鈍感さはその背景にある自己評価の低さと他者評価の高さという二点から描かれていると言えるでしょう。

 

次に強固な仲間意識についてですが、これについての描写は⑶で確認したように彼が彼女たちとの関係を回復しようとする動機と共通するところで、そのために「幼馴染との関係性の推移」では彼の一例の行動を動機づける強固なものとして描かれていたものが、「幼馴染という関係から恋人関係への推移」ではある意味で解決される問題として描かれています。ですが、これは彼のそのような意識が否定されるべきものとしてではなく、好意からくる行いが裏目に出ることもあるという形で描かれているように思われました(これについては後程言及する「優しさ」の主題に通底するところがあります)

 

長くなりましたが、ここまでが「幼馴染という関係から恋人関係への推移」では笹丸にとっての問題として描かれている二点についての確認となります。また、ここで確認した問題については①-②でそれらが解消される過程も丁寧に描かれていて(提起については繰り返し描かれていることもあり、くどいとも言えるかもしれませんが)笹丸にとっての問題の提起と解消の過程は総合的によく描かれているように思われました。そして、ひよにとっての問題はそのように鈍感である笹丸が自身の気持ちに気付かないというところと重なるところがあり、そのために笹丸にとっての問題の解消の過程と並行して彼女のそれも描かれているように思われました。

 

第二に、蘭についての問題を確認すると自身の気持ちへの自身の無さと周囲を気遣うあまりに自身の気持ちを押し殺すことという二点が挙げられるように思われます。前者・後者ともに以下の図に顕著に現れています。

 

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ここにあるように蘭は三人との関係に影響を及ぼしうることを懸念したこととひよの気持ちに自身のそれは及ばないという自身の無さから自身の気持ちを押し殺していることが伺えます。そして、「幼馴染という関係から恋人関係への推移」という軸においては、彼女が以上の二点とどのように折り合いをつけるかが問題として設定されているところがあるのですが、以下ではそれらがどのように描かれているかについての確認を進めていきます。

 

まず、前者については①のある場面で蘭が笹丸に自身の胸中を痛切に吐露するというシーンに顕著に現れているため、そちらを参照させていただきます。

 

 

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ここにあるように、彼女は自身の思いがひよの思いに勝っているかどうかという点を強く意識しています。また、彼女が「でもそんな目を背けたあたしじゃ笹丸ちゃんと一緒にいられない」と言うようにそのような意識に欺瞞的であることも出来ずにいる状態にあり、自縄自縛とも言えるような状態に陥っているところがあります。そして、このような描写から彼女の抱える自身の無さには説得力が付与されているように思われます。一方で後者については彼女がそのように振る舞っているという事実からそのことが描かれているものの、何故そのように振る舞うのかという動機については明確に描かれていないように思われました。そして、②で彼女の下す結論が自身の思いを諦めることであることを踏まえると、前者については先に述べた点から説得力が付与されているようい思われるものの、後者についてはその動機についての描写が欠けていることからやや説得力が欠けているように思われました。

 

(5)「優しさ」について

 

さて、次は前書きで書いたように本作品でしばしば取り上げられる「優しさ」がどのように描かれているかについての確認を進めていきます。

 

まず、この「優しさ」という語句については前述したように作品の随所で用いられているため、いくつかの例を取り上げた後にその語句が概ねどのような意味で用いられているかという輪郭を画定する作業から始めます。

 

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第一の例でここでは優しさがどのようなものであるかが抽象的に描かれています。「誰かを思うことによって」「誰かの為に在ることによって」という文が続いた後に「誰かに優しくするほどに」と続いていることから、誰かを思うこと(ここでは配慮するといった意味で用いられているように思われます。)誰かの為に在ることが優しくすることの例として挙げられると言えるでしょう。ですが、これでは抽象的に過ぎるのでもう一つ例を取り上げます。

 

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第二の例では、具体例を交えつつ「甘さ」と対比する形で「優しさ」についての言及がなされています。ここで挙げられている例から「甘さ」は自己の保身が前提とされているような行為一般のことを指しているように思われ、また「甘さ」との対比関係から考えるならば「優しさ」は自己の保身が達成されないとしても相手のことを思ってなされるような行為一般であるように思われます。

 

二つの例からすると、「甘さ」「優しさ」という対比関係から「優しさ」は自己保身が達成されないとしても相手のことを思ってなされるような行為一般という意味で用いられているように思われます。

 

次に、その「優しさ」が作品中でどのように描かれているかについての確認に移ります。そして、これには先に触れた「この病は・・・誰かに優しくするほどに悪化する」という件にある病と関わってくるところがあります。まず、「病」とはどのようなものであるかについて簡単に確認すると、②の学園祭の作品制作後に蔓延し始めたもので初期症状としては普段の振る舞いから考えられないような言動や振る舞いを見せるようになるというもので(罹患者はそのような言動や振る舞いを行うことへの衝動に駆られるという症状によるもので、ある程度は意志によってその症状を抑制できることが示されています)更に症状すると、衝動が発生する頻度が上昇し衝動に反した場合に身体に痛みが走るようになります。

では、この病がどのような形で「優しさ」の描かれ方に関わっているかについてですが、優しくするほどに痛みが生じる病を媒介にそれぞれが確かに痛みを感じているという事実から「優しさ」の確かさが描かれているように思われました。具体的に述べるならば、「優しさ」と「甘さ」は先に確認した意味からすると自己保身の前提の有無という点から区別できますが、実際にどこまでが「甘さ」でどこまでが「優しさ」であるかという線引きをすることは困難であるようにも思われます。そのなかで、本作品では病に優しくするほどに痛みが生じるという法則性が設定されており、「優しさ」という抽象的な性質に痛みという顕著に現れるものが伴うことで客観性が確保されているところがあるように思われました。総括すると、この病を媒介に「優しさ」に客観性が付与することでそれが確かなものとして描かれているように思われました。

 ですが、本作品での「優しさ」の描かれ方でとりわけ印象的であった点は、それが確かな形で描かれているということではなく、「優しさ」それ自体と正/誤の基準が切り離されているところにありました。詳細としては、先に述べたように本作品では随所で「優しさ」についての言及がなされている場面がありますが、そのなかの一つに以下のようなものがあります。

 

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 ここでは人が「優しさ」を有しているとしても、「優しさ」からくる行動が裏目にでることがあるというケースが挙げられています。この例の他にも⑶で挙げたような笹丸の行動が裏目に出たという例もこれに類するように思われます。そして、これらの例から「優しさ」からくる行動が人を傷つけることもあり、その行動の正しさが必ずしも保証されるわけではないと言えるのではないでしょうか。

 

しかし「優しさ」それ自体は正/誤の基準から切り離されているものの、優しくあることがどのような形をとるかについては示唆されているように思われます。それは以下の例に見られます。

 

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これは幼少期の笹丸が親への思いからイジメを行っていた姉妹にイジメを止めるように説得していた場面で、ここでの笹丸はある行為が誰かのためを思ってのものだとしてもそれによって生じる悪影響を知ってもなお止めないのならば、それは悪いことであるという理路から二人の説得を試みています。そして、優しくあることはここでの理路に通ずるところがあるように思われます。つまり「優しさ」に可謬性が伴うとしても、そのことに反省的であるか・否かが重要で、本作品で優しくあることはこのような形で示唆されているように思われました(了)

 

(1)コトバンク デジタル大辞泉(以下リンク)  

  https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E5%90%9B%E5%AD%90-72904

『君の名残は静かに揺れて』感想

1概要

 

本作品は『Flyable Heart』のFDにあたるものですが、『Flyable Heart』未読であっても本作品の展開を概ね理解できるような作りとなっていました。

 

 2あらすじ

 

ある日、葛城晶(以下晶)は秀でた才能を有する人物を擁することで知られている「私立鳳繚蘭学園」(以下鳳繚蘭)から送付された書類を受け取る。書類の内容は、鳳繚蘭についての資料と晶が鳳繚蘭に入学することを許可されたという旨を伝えるものであった。食事に並々ならぬ熱意を注ぐ晶は送付された資料にあった食堂についての記載を見て入学を決意し、鳳繚蘭へ向かうのであった。

 鳳繚蘭へ向かう最中、大橋にて晶は物憂げな雰囲気を醸し出す少女、白鷺茉百合(以下茉百合)と出会う。彼女は鳳繚蘭の生徒会にて副会長を務めており、生徒会副会長としての彼女は誰に対しても分け隔てなく接する優しい人物であった。生徒会特別援助委員に任命された晶は、生徒会の仕事をこなすなかで徐々に茉百合に惹かれていく。だが、誰に対しても分け隔てなく接する彼女の在り方には過去のある出来事が深く根差していた。

 

3雑感

 

先のあらすじにあるように晶は生徒会の仕事をこなすなかで茉百合に惹かれ、交流を深めていきます。そして、その過程で過去にあった出来事が徐々に明かされていくといった作りがとられています。

 本作品において、印象的であった点として過去にあった出来事が茉百合にもたらした精神的な変化が解消される過程の描かれ方が挙げられます。茉百合は過去にあった出来事から他人と親密な関係を築くことに一線を引いており、誰に対しても分け隔てなく接するという態度をとっていました。換言するならば、過去の経験から誰かと特別な関係を築くことを忌避していたとも言えます。しかしながら後に彼女は晶と交流を深め、恋人になるのですが、これは誰に対しても分け隔てなく接するという態度を改めることを意味しているととることもでき、晶と茉百合が結ばれるまでの過程は過去の経験が解消される過程を描いているとも言えます。

 しかし、とりわけ印象的であったことは茉百合の過去の問題の解消を恋人関係の成立から描くだけではなく、彼女自身の在り方の変化を通して描いているという点にありました。

 恋人となった晶と茉百合は交際関係を認めてもらうことを目的に白鷺家の屋敷に数日間滞在することとなります。そのなかで茉百合が過去の経験から精神的な負荷を受けていて、そのことから特別な関係を築くことを忌避していたことを知る人物から、今回の交際も後々に茉百合に精神的な負荷をもたらしうるのではないかと問い詰められることとなります。

奇しくも、晶は茉百合の過去の出来事に関わりがある人物と縁があり、そのような自身が彼女と特別な関係を築くことにわずかながらのしこりを残していました。そのため、晶は問いかけに答えることに窮してしまいます。

ですが、茉百合はその問いかけに「大事な人を失うことがあったとしても、たとえ一人ぼっちになったとしても、私は自分であり続けるわ」と応答します。

忌避していた特別な関係を築くのみならず、過去にあったような大切な人との離別を再び経験することとなったとしても自身の在り方は揺るがないと他ならぬ茉百合自身が主張する。彼女の在り方の変化によって、彼女自身の過去の問題のみならず晶のしこりも解消されたという描かれ方が印象的でした。

 

他にも、白鷺家の屋敷に滞在するなかで茉百合の出自についての秘密が明かされていき、その過程で描かれていく白鷺家の家人の思いも本作品の見所であるように思われました。

 

総評として、FDでありながら一個の作品として完結していて、コンパクトに纏まっているように思われました。

 

 

当ブログについて

はじめまして。仔月と申します。

主にプレイしたエロゲについての所感を記事として書き残すことを目的に当ブログを開設いたしました。他にも、読み終えた本についての所感なども書き残すことがあるかもしれませんが、開設の目的にあるように当面はエロゲについての感想が主となると思われます。

どうぞよろしくお願いします。