『水葬銀貨のイストリア』感想

 

前書き

 

今回は『水葬銀貨のイストリア』を読み終えたということで、プレイ後の所感を以下でまとめていきたいと思います。また、以下の内容はネタバレを含みます。

 

あらすじ

 

茅ヶ崎英士は誘拐犯の息子であるという経歴から、学園ではドブネズミと呼ばれていた。そのように周囲の人々に避けられる日々を送るなかで、ヒーロ志望の後輩、小不動ゆるぎと出会う。ある日、ゆるぎは部活の成立のために危険な勝負に挑む。英士は彼女を救うべく、持ち前のトランプの腕前を武器に勝負に打って出る。

 

所感

①作中の瑕疵について

 

まず、他の方々のレビューにおいても言及されていることですが、本作品では誤字や演出面の瑕疵が多く見られます。一例を挙げますと、演出面ではある人物の立ち絵が一致していないことが挙げられます。また、誤字については以下にあるように誤変換や不要な文字が含まれているといったミスが見られます。

Ex1)立ち絵の不一致(本来は片方の立ち絵がゆるぎである)

 

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Ex2)不要な文字(f夕桜のf)

 

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同ブランドの前作品『紙の上の魔法使い』においても、誤字は見られましたが、本作品では誤字に加え、演出面の瑕疵も目立つことは残念な点であったように思われます。

 

次に、本作品で良かったように思われる点についての確認に移りたいと思います。さて、本作品で良かったように思われる点についてですが、人魚姫の涙という道具立てを媒介に主な視点人物の茅ヶ崎英士の信念についての問題が浮き彫りにされていたこと。そして、そこで浮き彫りにされた問題の解消がTRUE END ルートで描かれていたことから、茅ヶ崎英士という人物と彼にまつわる問題についての掘り下げが丁寧になされていることは良かった点であるように思われます。以下では、そのことについての確認を進めていきます。

 

まず、人魚姫の涙とは何かという前提についての確認から始めたいと思います。それでは、人魚姫の涙とは何かを確認するにあたって、はじめに作中の人魚姫の伝承についての確認から進めていきます。

 

②人魚姫の伝承

 

その昔、涙で他者のあらゆる傷を治癒することが可能な力を持つ少女がいました。そして、少女は銀貨一枚を対価に島の人々の病や傷を治癒し続けました。しかし、少女はある日に高熱を出したことで倒れてしまいました。彼女の涙は他者の傷を治癒することはできるものの、自身の傷や病を治癒することは出来ないため、高熱に苦しめられるなかでも、島の人々の求めに応じて、涙を流し続けました。そして、治療を続けるなかで少女は自身の力は自身の命を削ることで成立していたものであることを悟りました。まさに、涙を流すたびに彼女の容体が悪化の一途を辿っていたことがその事実を物語っていたのです。自身の死が近いことを悟った少女は島の人々への治療を断るようになりました。しかし、島の人々はそのことを許しませんでした。そして、治療を続けることを強制された彼女は死を迎え、彼女の肉体は水葬されました。彼女の死後、島民の間にある異変が発生します。それは、涙を流すことができなくなったという形で現れました。異変のなかで島民は、それが死した少女の呪いであると考え、彼女を供養するために島中の林檎をかき集め、それらを海へと捧げました。しかし、それでも状況は変わらずに人々は涙を流せないままでいる。

 

以上が人魚姫の伝承となります。そして、これは単なる伝承に留まらず、作中では人魚姫の涙の力を持つ人物が実際に描かれています。以下では、先の伝承を下敷きに人魚姫の在り方がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。

 

③人魚姫の在り方 利他性について

 

さて、人魚姫というものが作中でどのように描かれているかについての確認を進めていきたいと思います。まず、伝承にあるように人魚姫の涙の力は当人の命を対価に発言するものです。そして、このことは人魚姫の在り方が利他的なものであることを示唆しているように思われます。(以下 引用)

 

灯「何せ、人魚姫の涙は、利己的な人間には流すことが出来ません。利益を追求するものや、涙を悪用しようとする人間は、絶対に不可能です」

「異常なくらいに、自分を殺して他人を想うことが出来なければ 涙は流せないのです」

 

以上の引用に見られるように、人魚姫の涙は自身よりも他者のことを優先するような人に発現する傾向があるとされています。そして、自身よりも他者のことを優先するという傾向性は人魚姫の在り方が利他的であることを示しています。さらに、実際にそのような傾向性は作中の随所で描かれています。(以下引用)

 

人魚姫の涙はあらゆる傷を治癒してくれる。

一握りの人間にしか許されていないその力を、玖々里は何の躊躇いもなく使ってしまった。

 

 

以上の引用にあるようには、汐入玖々里は人魚姫の涙の力を保有しており、さらにはその力を身近な人々のために使うことに躊躇いがありません。このように、人魚姫の在り方が利他性に特徴づけられることは随所に描写に現れています。

 

次に、人魚姫の涙を媒介に茅ヶ崎英士の信念についての問題がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。まず、それについての確認に移る前に茅ヶ崎英士がどのような背景から信念を形成し、行動をとっているかという前提についての確認から始めます。

 

茅ヶ崎英士の背景について

 

まず、あらすじで確認しましたように茅ヶ崎英士は誘拐犯の息子であり、そのことから学園では煙たがられています。そして、誘拐犯の息子という点の補足になりますが、煤ヶ谷小夜と英士と妹の夕桜は父親の茅ヶ崎征士に誘拐され、監禁されていたという過去があります。そして、長期間の監禁生活のもとで精神的な負荷を受けたことで煤ヶ谷小夜は心に傷を負い、それは茅ヶ崎英士への依存的な傾向という形で現れました。そして、小夜の精神は英士が傍にいることで安定することから英士たちは煤ヶ谷家のもとに養子として迎え入れられます。しかし、英士は、小夜が以前のような明るさを失ってしまったことに負い目を抱いており、彼女の心の傷を治療するための費用を稼ぐべく、カジノへと赴きます。当初は、格下の相手からチップを奪うことで稼ぎを大きく上げていたものの、やがてはそれも通用しなくなり、英士は追い詰められます。そして、英士がカジノへ入り浸っていたことで小夜の精神も不安定になりがちであったことから、英士はハイリスク・ハイリターンのテーブルで勝負に臨むことを決意します。しかし、その場には恩人の煤ヶ谷宗名もいました。彼も小夜を治療するための費用を稼ぐためにその場に立っていたのです。そして、勝負は英士の勝利で終わるものの、カジノのオーナー側の人間から小夜を救うことと引き換えに敗者の宗名を殺害することを要求されます。苦悩の後に英士は宗名を殺害します。その後、治療を受けた小夜は以前(事件前)のような心を取り戻しますが、例外的な治療を受けたことで高額の借金が発生し、小夜はそれを返済するためにカジノで働くことを余儀なくされます。そして、恩人をその手で殺したことと小夜を救いきれなかったことに負い目を抱く英士はカジノへと戻り、小夜の借金を代わりに返済するためにポーカーを続けます。

 

以上が大まかな背景になります。そして、罪を償うために小夜をその手で救いたいという英士の信念は作中の随所で痛ましいほどに描かれています。

 

では、本題の人魚姫の涙を媒介にそのような信念の問題点がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。

 

⑤信念の利己性について

 

まず、英士は自身が涙を流すことができれば、彼が救いたい人々を一挙に救うことができるという状況に置かれます。そして、先に確認しましたように英士は罪の意識から小夜を救いたいという意識を持っています。ですが、その場面では彼は涙を流すことが出来ないという結果に終わります。この事実は、英士の信念の問題点を浮き彫りにしているように思われます。具体的には、先に確認しましたように人魚姫の涙は利他的な人間のもとに発現するという傾向性があります。そして、英士はまさに小夜を救いたいがために自身の身を削るという在り方から利他的であると言えるように思われますが、結果的に涙を流すことができません。このことは、彼の信念が純粋に利他的なものではなく、誰かを救うことで自身も救われたいという利己的な思いもはらんでいることを示唆しているように思われます。つまり、涙を流すことで彼の信念を達成できるにもかかわらず、そうすることができないという事実は彼の信念が純粋に利他的なものではなく、利己的なものでもあることを浮き彫りしていると言えるように思われます。次に、TRUE END ルートでの問題解消の描かれ方に移る前に個別ルートについての所感の確認に移りたいと思います。

 

(個別 共通①小夜・玖々里)

 

まず、本作品では個別ルートに移行する前に分岐先のヒロインに焦点が当てられた共通ルートが設けられています。ここでは、小夜と玖々里の共通ルートについての確認を進めていきたいと思います。まず、この共通ルートでは祈吏との確執の決着が描かれていた点が良かったように思われます。そして、彼女との主張のぶつけあいでは英士がどのような行動をとるべきであったかという問題についての解答が示唆されています。それは、英士は罪の意識から贖罪を行うのではなく(先に確認しましたように彼の贖罪行為には誰かを救うことで自身も救われたいという思いも内在しており、その意味で利己的なものでもあるように思われます。)罪があるからこそ、罪を自覚的に棚上げにしたうえで身近な人間を苦しめないような行動をとるべきであったというものです。これは冒頭部分で夕桜が示唆していたところでもあり、⑤で確認したような内容の後であるからこそ、その主張が補強されているようにも思われました。

 

 

 

(個別 小夜)

 

あらすじとしては、ポーカーから身を引いた英士が、幼いころの夢を実現するためにトランプを再び握るという話。英士が自身の正体を明かすべきかどうかという葛藤が描かれていますが、自身の正体を口にしそうになってしまうことからも利己的なところが描かれており、茅ヶ崎英士という人間の弱さについての描写は徹底されているという印象を受けました。

 

(個別 玖々里)

 

あらすじとしては、二人が恋人になり、幸せな生活を送るというもの。率直な感想として、あっさりとした終わり方であるように思われました。もう少し、二人の恋人としての生活(例えば、一緒に林檎を食べるという約束は結局描かれていなかったことから、そのあたりの描写をデートシーンとして入れてほしかったという個人的な思いがあります)を見たかったという思いがあります。

 

(個別 共通②夕桜・ゆるぎ)

 

ここでは、夕桜とゆるぎの共通ルートについての確認となります。まず、この共通ルートではバレンタインデーにゆるぎと夕桜が英士と過ごす権利を奪い合うといった展開が描かれていますが、それまでの展開が個人的に重いものであったということもあり、気を楽に読むことができる展開で個人的に良かったところはあります。

(個別 夕桜)

 

あらすじとしては、CAとしての仮面が粉砕され、夕桜と恋人として幸せな生活を過ごすというもの。こちらでも、祈吏との確執の決着が描かれていますが、個人的には小夜・玖々里のほうが好みでした(英士についての問題が指摘されているという点で)

 

(個別 ゆるぎ)

 

あらすじとしては、祖父の死後に進藤和奏は憔悴してしまい、花火への熱意を失ってしまう。しかし、ゆるぎと英士の二人はそのような彼女をどうにかするために奔走するというもの。

このルートでは、進藤和奏についての問題が主に描かれていることもあり、その内容は進藤和奏ルートであるとも言えるような印象も受けました。しかし、最後の問題解消の過程がかなりの急ぎ足で描かれているような印象を受けたこともあり、惜しいように思われました。ゆるぎルートとは別に個別ルートを設けたうえでこのような問題をしっかりと描いてほしかったという個人的な思いがあります。

 

(個別ルート 利己性と利他性)

 

ここまでに個別ルートについての所感を確認してきましたが、先に確認しましたように英士の信念は利己性をはらんでおり、その意味では問題含みであると言えますが、一方で人魚姫の利他的な信念もある意味では問題含みのものとして描かれているところがあります。それは、人魚姫は利他的であるがために自身を切り捨てがちであるところにあるように思われます。以上のことから、利他的な信念も利己的な信念も問題含みのものとして描かれていますが、これらの問題(利他性、利己性を前提としたうえでどのような態度をとるべきか)の解消がTRUE END ルートでは描かれているように思われます。以下では、そのことの確認を進めていきたいと思います。

 

(TRUE END) 

 

TRUE END ルートへの分岐点では英士は涙を流すことができないものの、誰かが犠牲になることをよしとせずに諦めないという選択をとります。その後、英士は問題を解消すべく、周囲の人々への協力を仰ぎますが、他ルートでの展開を念頭に置くとこのような描写は他のルートの描写と対比的な関係にあるように思われます。つまり、他ルートにおいて英士は自罰的な意識から誰かに問題を相談することをよしとせずに自身のうちに抱え込んでいますが、結果的にこのような行動が裏目に出て、誰かが犠牲になるという展開が見られます。一方でTRUE END ルートにおいて英士は自身のうちで問題を抱え込むということをよしとせずに周囲の人々に相談し、結果的にこのような行動が上手く働きます。そして、このような対比を念頭に置くと利己性(英士)と利他性(人魚姫ら)のいずれも相互にコミュニケーションを図らずに問題を内に秘めることがまさに様々な問題を誘引していたということで双方は同じ土台に置かれます。したがって、TRUE END ルートでの描写から利他性と利己性についての問題はいずれが優位であるというような二項対立ではなく、いずれもある点で問題含みであったということが明らかにされているように思われます。そして、その問題こそがコミュニケーションの不足というかたちで描かれていたように思われました。

 

後書き

やはり、本作品を読み進めてきたなかで最も印象的な点は茅ヶ崎英士という人物とその人物の問題についての描写にありました。また、利己性や利他性についての問題が描かれている点もとても好みでしたが、商品としての瑕疵が目立つこともあり、評価しづらい作品であることも事実です。ですが、本作品のストーリーを好ましく思う気持ちも事実としてあるため、氏の次回作を楽しみに待ちたいところ。

『キサラギGOLD★STAR』感想

 

1 前書き

今回は『キサラギGOLD★STAR』を読み終えたということで、以下にプレイ後の所感をまとめていきたいと思います。また、以下の部分にはネタバレが含まれます。

 

2 所感

 

以下ではそれぞれのルート(四人のメインヒロイン)についての所感を確認していきます。

 

①遠藤沙弥ルート(以下沙弥)

 

前半部分では二見と沙弥が恋人になるまでの過程が描かれており、後半部分では『竹取物語』に類似した筋書きの伝承を下敷きに伝奇物語が展開されていきます。

 

以下では、前半部分と後半部分のそれぞれについての所感をまとめていきます。

 

まず、前半部分については二人が恋人になるまでの過程が描かれていますが、これについては非常に描写が丁寧であったように思われます。前半部分は、二見が自身の気持ちを自覚する過程、自覚した後に告白する過程の二つに大きく分けられて、そのいずれにもある程度の尺が割かれており、描写が丁寧であったように思われます。ただ、所謂イチャラブゲーなどをプレイしたことがないことなどもあり、エロゲ―での恋愛関係の描写の丁寧さについての自身の判断はかなり怪しいところもあります。

 

 

次に後半部分については伝奇物語が展開されていきますが、これについては共通ルートでその展開が示唆されているところもあり、展開自体に不自然さを覚えることはありませんでした。その意味では共通ルートで布石が打たれていたことが前半部分と後半部分の隔たりを緩和していたところがあるように思われました。

 

そして、実際の内容では伝承が寓話として位置付けられているところがあります。伝承における、男と姫の関係性が二見と沙弥の関係性に重ねられており、実際に二見と沙弥は伝承のように離別の憂き目に見舞われます。このように、伝承を下敷きに共通ルートからの布石が回収されていく部分は良いと思いましたが、一方で以後の結末部分にはややしこりが残るところがありました。前述しましたように、両者は離別の憂き目に見舞われるのですが、そこでは離別自体を阻止しようとする試みや離別したとしても再び会えるかどうかといった問題が描かれています。しかし、結末部分ではその前にEDが挟まれているものの、それまでに問題とされてきた事柄、再び会えるかどうかなどがいつの間にか解消されており、そのような点から前後の展開にギャップを覚えるところがありました。

 

② 羽音々翼ルート(以下翼)

 

翼ルートは、前半部分、中盤、後半部分の三つに分けられます。まず、前半部分では彼女の才能が所与のものであるかどうかについての悩み、次に中盤では、問題の解消後に恋人となった二人についての描写 最後に後半部分では学園祭と商店街の祭のどちらを選択するかという問題 が描かれています。

 

以下では、それぞれの部分についての所感の確認を進めていきます。

 

まず、前半部分についてですが、これには先の伝奇物語の展開の布石がかかわってくるところとなります。二見たちは過去に月の民から腕輪を受け取っています。そして、月の民によるとそれはそれを着ける者の願い(夢)を実現させる力を与えるもので、実際に二見らのなかにも効果が実感されると主張する人物はいます。そして、前半部分で問題とされていることは、翼のピアノの才能が本当に彼女のものであるか、腕輪の力で与えられたものにすぎないのか、ということです。このような問題は、以下の図にあるように二見の説得によって解消が図られています。

 

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後に後述しますが、ここでは才能は個人のもとで培われたものであるという視点のもとに主張が展開されていますが、後半部分ではそこで描かれている問題に対し、前半部分の主張を補強するような視点が導入されており、翼ルートでは主題に明確な軸が設定されていたことが良かったように思われます。

 

次に、中盤についてですが、ここでも描写自体は丁寧であったように思われます。

 

最後に、後半部分についてですが、ここでは翼が学園祭と商店街の祭のどちらを選択するかという問題が描かれています。先に確認しましたように、前半部分では個人の才能が問題とされていたことから個人に焦点が当てられていますが、後半部分では個人の才能を培うような個人の営みが周囲の人々の支えのもとで実現されてきたことに焦点が当てられます。そのため、後半部分ではコミュニティと個人という軸から主題が展開されていきます。

 

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以上の図にあるように、翼は商店街というコミュニティの束縛を疎ましくも思っているところがあります。しかし、二見たちとの交流を重ねるなかで自身の才能というものも周囲の支えのもとで成り立っていたことに気付きます。そして、翼は学園祭で個人として成功することではなく、今の自身を形成する支えとなってくれた人たちの元へ向かう・・・ といったかたちで問題の解消が描かれています。このように、前半部分からの接続がなされており、主題の軸が明確であることは翼ルートを読んでいて、良いと思った点の一つです。

 

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また、翼は心情が()で表現されるというかたちがとられていますが、そのこともあって、翼ルートでは二見の視点からヒロイン視点のモノローグ(厳密にはモノローグではありませんが)が描かれているような状態となっており、個人的に楽しめました。

 

③ 藤丸命ルート(以下命)

 

命ルートも、前半部分、中盤、後半部分の三つに分けられます。最初に、前半部分では彼女の家族の問題が描かれています。次に、中盤では二人の恋人関係が描かれています。最後に、後半部分では彼女の出生と夢についての問題が描かれています。

 

以下では、それぞれの部分についての所感の確認を進めていきます。

 

はじめに、前半部分についてですが、ここでは彼女の家族についての問題が描かれていますが、問題の核心は命の母親と命が相互に配慮しあうことで逆にコミュニケーションが上手くいかないという事態が発生しているところにあります。そして、このような問題が二見の介入で上手く解消するといった展開が描かれています。

 

次に、中盤についてですが、命ルートでは前半部分で恋人のフリをするというくだりがあり、ある意味ではその延長戦上で二人は付き合うこととなるのですが、このようなかたちで描かれていたこともあり、他ルートとはやや毛色が異なるように思われました。

 

最後に、彼女の出生と夢についての問題ですが、命ルートでは家族が主題とされているところがあり、ここにおいてもそれについての問題が描かれています。ただ、後半部分で主にかかわってくる人物は端的に命の妨害行為をおこなってくるのですが、その人物にはサブキャラクターとしてのルートが用意されており、命ルートを見た後にそれをプレイすることにはやや厳しいところがありました。

 

④ 新田いちかルート(以下いちか)

 

いちかルートは、前半部分と後半部分の二つに分けられます。はじめに、前半部分では家族でありたいという願いと恋人になりたいという欲求の葛藤が描かれています。次に、後半部分では、前半部分の葛藤を下敷きにそれらの対決が描かれています。

 

以下では、それぞれの部分についての確認を進めていきます。

 

はじめに、前半部分についてですが、家族であり続けたいという願いと恋人になりたいという欲求の葛藤が描かれています。ここでは、いちかの葛藤が問題の軸として設定されていますが、印象的な点はどちらの欲求もいちかにとっては切実なものでそのために葛藤が生じているというところで、ここでの問題に外的要因による影響は関与していないというところにあります。そのため、ある種のタブーについての問題が描かれているようで、実際はそれが個人の意識のレベルの問題として描かれているところがあります。このような点から、外的要因という敵に位置付けられるようなものを描くことなしにそのような問題を描いているところがあって、そのような書き方もあるのかという驚きがありました。

 

次に、後半部分についてですが、ここでは沙弥ルートの伝奇物語の背景設定が下敷きに展開が進められていきます。まず、いちかには月の民が与えた霊のようなものが憑依しており、それが幼少期には病弱であったいちかを回復せしめたという背景があります。そして、その霊は幼少期のいちかの家族であり続けたいという願いを実現する力を与えてきたが、いちかが二見への恋心を抱いたことを契機にいちかより分離します。そして、霊は月に帰らなければならないという宿命を翻すべく、いちかに決闘を申し込む。以上が大まかな展開となります。ここにおいても、前半部分で問題とされていた、個人の意識のレベルの葛藤が実際に両者の対決というかたちで描かれており、その意味では前半部分での問題を補強するような位置付けとなっているように思われました。

 

3 後書き

 

新島氏が作品に携わっていることがきっかけで読み始めた作品でしたが、十分に楽しむことができました(どのルートが新島氏の担当されたものであるかは終始分かりませんでしたが)とりわけ、翼ルートはお気に入りと言えます。氏の携わった作品ですと、次は『ナツユメナギサ』を読みたいと考えています。

『魔女こいにっき Dragon×caravan』感想

1 前書き

 

今回は『魔女こいにっき Dragon×caravan』の再読を終えたということで、本作品についての所感をまとめていきたいと思います。また、以下の内容は作品についてのネタバレを含みます。

 

2 あらすじ

 

春先、南乃ありすは学園の時計塔で願うと幸せになれるという噂を確かめるべく、放課後に友人たちと時計塔へ向かう。時計塔に着いた後、ありすは時計塔から落ちてきた日記を拾う。その後、自宅にて日記を開くとそこには桜井たくみという男性の視点から自身に身近な女性との関係が描かれていた。そして、日記のページが日を追う毎に追加されていくことを不審に思い、ありすは桜井たくみという人物と日記の調査に乗り出す。

 

3 所感

 

はじめに、本作品では冒頭部分で以下の図にあるような展開がなされます。

 

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以上の図に見られるように、ここではある男女の関係性の推移が描かれています。そして、この例に見られるように物語の非永続性という主題は本作品の随所で描かれています。以下では、そのことを中心に確認を進めていきます。

 

さて、本作品では前述したような主題を浮き彫りにするような構成がとられており、そのような構成がとられていることで後の展開が補強されるといった関係が認められます。

 

では、そのような構成とはどのようなものであるのでしょうか。以下では、本作品の大まかな展開を概観しつつ、そこから浮き彫りになる事柄の確認を進めていきます。

 

まず、本作品では二人の人物の視点が交互に切り替えられつつ、物語の進行がなされていくことを前提に、ありすの視点のあらすじの確認をもう少し進めていきます。

 

先のあらすじにあるように、ふとした出来事からありすは日記を入手し、それを読み進めていきます、そして、日記を読み進めるなかで桜井たくみという人物の視点から自身の身近な人物との関係が描かれていることに気付きます。しかし、そこで描かれていた人物に日記の内容を尋ねるも、当人はそのようなことに覚えはないと返します。そのような奇妙な状況に置かれるなかで、マスコットサイズのドラゴンがありすのもとを訪れます。ドラゴンは自身をバラゴンと名乗り、桜井たくみはジャバウォックという名前の魔法使いであり、彼のせいで街が危険に晒されていると告げます。そして、日記の欠けたページが街中に散らばっており、それを集めることでジャバウォックの思惑を阻止するように頼みます。ありすは提案を受け入れ、日記を探すために街へと繰り出します。

 

以上がありすの視点のあらすじとなります。そして、彼女の視点で日記の欠けたページが集められ、それが読まれる際にジャバウォックの視点に切り替わるという構成がとられています。

 

次に、ジャバウォックの視点ではどのような展開が描かれているかについての確認に移ります。

 

先のあらすじの概観で少し触れたところですが、ジャバウォックの視点では個別のヒロインとの関係が主に描かれていきます。その意味で、そこで描かれている展開は各ヒロインの個別ルートに対応していると言えます。

 

では、個別ヒロインとの関係はどのように描かれているのか。ここで重要である点は、いずれの個別ルートにおいてもジャバウォックはそのルートのヒロインと結ばれているものの、

最終的にヒロインのもとを去ることにあります。そのため、個別ルートでの恋愛模様はいずれも離別というかたちで終わっているのです。

 

以上がジャバウォックの視点における展開の大まかな確認となります。

 

次にこのような背景を踏まえたうえで本作品の構成が浮き彫りにしている事柄の確認に移ります。

 

さて、前述しましたように、ジャバウォックの視点では個別のヒロインとの恋愛模様が描かれており、最終的にいずれの関係も離別に終わります。そして、このような展開の類似性はありすの視点で明かされる事実を踏まえるとある事柄を浮き彫りにするように思われます。

 

それは、ジャバウォックの視点で描かれている物語が、ありすの視点では過去に起こった出来事であり、当事者たちはそのことをただ忘れていること。そのことから、それぞれの個別ルートもそれぞれが可能性として独立しているのではなく、いずれも実際にあった出来事であるということです。

 

この事実を踏まえると、作品の随所で言及されている、物語の非永続性という事柄がこのような構成のもとで浮き彫りになっているように思われます。

 

では、物語の非永続性とはどのようなものであるかをいくつかの例を交えつつ、確認を進めていきます。

 

まず、物語の非永続性を確認するにあたって、本作品で物語というものがどのように位置付けられているかを確認することから始めます。

 

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上の図にあるようにジャバウォックは物語とはどこかにありそうでどこにもないものであり、恋愛や神やヒーロ―などもそれに類するものであると主張します。この主張から、本作品で物語とはフィクションを指すものではなく、広範な対象を指示する語句として位置付けられていると言えます。さらに、物語は現実に対置されるものとして位置付けられていることが以下の図から読み取れます。

 

 

次に、非永続性はどのように位置付けられているかを一つの例から確認を進めていきます。

 

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上の図にあるように、崑崙は例を挙げつつ、その例から物語というものは永続するものではないことを示唆しています。そして、先に挙げた例で恋愛も物語に類するものとされていたことを踏まえると本作品で恋愛は永続しないものとして位置付けられていると理解できます。

 

以上の事柄を踏まえると、本作品では各ヒロインとの離別が同一の時間軸上で描かれているという事実が後に明かされるという構成がとられていることで、構成自体が物語(恋愛関係)の非永続性を浮き彫りにしていると言えるのではないでしょうか。そして、このことはTRUE END で描かれている問題を補強しているように思われます。以下では、ここまでに確認を進めてきた内容を踏まえた上でTRUE END で描かれている問題についての確認を進めていきます。

 

はじめに、TRUE END で描かれている問題についての大枠の確認から始めます。TRUE END のあらすじとしては、ジャバウォックのかつての妻、アリス(注:南乃ありすとは異なる)が登場します。そして、ジャバウォックが自身のことを置き去りにし、他の女性にうつつを抜かしていたことを糾弾します。しかし、ジャバウォックは彼自身の主張からアリスの主張を退けます。そのような彼の態度に業を煮やした彼女は彼に鉄槌を下す・・・というものです。そして、そこで問題とされていることはまさに両者の主張の対立の背景にあります。そのため、以下では両者の主張とその背景を確認したうえでどのような問題が描かれているかの確認を進めていきます。

 

まず、ジャバウォックの主張についてですが、彼の主張を確認するにあたってはTRUE END までに彼がとってきた行動を確認することが理解の一助となるように思われます。

 

先に確認しましたように、ジャバウォックは個別ルートであるヒロインと結ばれた後にそのヒロインの元を去ります。そして、重要な点は、彼は物語(恋愛)が永続しないことを理解しつつも、そのうえで一つの物語(恋愛)に真摯であることは可能であると考えていることにあります。また、物語が永続しないものであり、それと対置される現実は耐え難いものであるという考えから、彼は次から次へと物語を横断することは妥当であると考えています。このような考えは、実際に彼が複数のヒロインとの関係を次々に結んでいたことに現れています。そして、アリスとの思想の対立を理解するにあたって、彼の主張は非常に重要な点となります。

 

次に、アリスの主張についてですが、アリスの主張は物語が永続することが望ましく、一つの物語に真摯であることが望ましい態度であるというものです。そして、このような主張のために彼女はジャバウォックが自身を置き去りにし、他の女性と関係を持ち続けていたことを批判します。

 

以上のことから、ジャバウォックとアリスの主張は物語というものにどのような態度をとることが望ましいかという点で対立しています。問題とはまさにこの点にあります。

 

では、先に確認したように本作品の構成がどのような点でこの問題を補強しているかを確認していきます。

 

まず、前述したように本作品では構成から物語の非永続性が浮き彫りにされています。そして、物語は永続することが望ましいというアリスの主張とこのことは相反するものです。そのため、物語の非永続性という点からアリスの主張は退けられます。実際にジャバウォックは物語が永続しないということから、一つの物語に固執している態度を批判します。

 

では、ジャバウォックの態度に問題は無いかと言えば、ジャバウォックのかかわったヒロインたちは彼のことをほとんど忘れているという点でこのようなことは問題となりませんでしたが、アリスの場合は彼女がジャバウォックのことを記憶しているという点から問題が発生していると言えます。つまり、アリス以外のヒロインとの関係は、ジャバウォックのみが記憶を保有しているという点から非対称なものでそのことで彼の態度は独断的に保障されていたように思われます(例外はありますが)。そして、アリスとの関係は、双方が記憶を保有しているという点から対称的なものでそのために彼の態度が独断的に保障されることがなかった。このように、独断的に態度が肯定されうる状況にあったことが彼の主張の問題であるように思われます。また、これらのことは、物語のなかに存在していたがために関わったものから忘れられてきたことから問題とならなかったことに焦点が当てられているという点から、物語以後(現実)でジャバウォックの主張がどのような問題を含みうるかを示唆していると言えるのではないでしょうか。

 

以上のことから、本作品の構成は物語がどのようなものであるかを浮き彫りにすることで対立の背景を補強しているように思われます。そして、両者の主張はいずれもが問題含みであると言えるように思われます。

 

では、物語にどのような態度をとるべきかという問題はどのように解消されるのか。最後にそのことの確認を進めていきます。

 

さて、物語にどのような態度をとるべきかという問題は『魔女こいにっき dragon caravan』で追加されたシナリオ、「黒の章・灼熱の王子と小さな竜」で描かれているように思われます。以下では「黒の章・灼熱の王子と小さな竜」のあらすじを簡単に確認した後にそこでどのように問題の解消が描かれているかについての確認を進めていきます。

 

まず、あらすじについては、転校生の真田甘楽は学園の時計塔のもとで塔の上から落ちてきた日記を拾います。その後、自宅にて日記を読み進めるなかで桜井たくみという人物の視点で学園の女性との関係が描かれていることに気付きます。しかし、そこで描かれている内容は桜井たくみが相手の女性に惨殺されるといった猟奇的なものでした。さらに、甘楽のもとにマスコットサイズのドラゴンが訪れます。ドラゴンは自身をブラゴンと名乗り、現在の桜井たくみは記憶を失っていることで正気を失っており、日記の内容をあるべきかたちに直すことで彼を元に戻すことができると告げます。桜井たくみと面識がある甘楽は日記を元の内容に直すべく奔走します。

 

以上が大まかなあらすじとなります。では、先に確認した問題はどのように描かれているか

 

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上の図では、物語が終わったとしても全てが終わるのではなく、残るものがあるということが主張されています。そして、この主張は物語が永続しないものであることを前提としたときにそれにどのような態度をとるべきかという問題に示唆的であるように思われます。それは、物語は永続しないものであるとしてもそれによって残るものはあり、それが次の物語を胚胎しているとするような考えです。この考えはアリスとジャバウォックの主張にあったような問題を含んでいないという点で先の問題を解消するような糸口を示唆しているように思われます。

 

しかし、先に確認したように本作品ではジャバウォックと各ヒロインとの個別ルートではまさに物語が終わるというところで個別ルートが終わるためにジャバウォックが去った後のヒロインの物語、エピローグにあたるものが描かれていないものもあります。そのために、物語が終わったとしても残るものがあるという主張を補強するような実例にあたるものが作中では描かれていないようにも思われました。

 

4 後書き

個人的に思い入れがある作品ということもあって、今回はこのようなかたちで感想を書き残しました。読み返したことで以前とは異なる所感を抱いたこともあり、読み返してよかったと思います。

『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』感想

1前書き

タイトルにあるように、ギャルゲーの登場人物が現実世界に現れるというあらすじの本作品ですが、ここでは一連のシリーズの1作目の『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』についての所感を中心にまとめていきます。

2あらすじ

まずは、簡単なあらすじの確認から始めます。

ある日、都筑武紀は自身のPCに届いた奇妙なメールを確認する。見ると、メールは『あなたの世界を変えてみませんか』というタイトルから始めまり、参照元となる世界についてのデータを入力することでそれが世界に反映されるとの内容が記載されている。怪しげなメールに半信半疑になりながらも、武紀はお気に入りのゲームディスクをドライブに差し込み、その世界が反映されることを望んだ。そして、翌朝に目を覚ますと、昨晩ドライブに差し込んだゲーム、『エターナル イノセンス』のヒロインたちが周囲にいた...

以上が冒頭部分のあらすじとなります。そして、この作品では主人公がゲームの世界に入った場合のシミュレーションではなく、ゲームの世界の登場人物が主人公の世界に現れた場合のシミュレーションが描かれているという点が肝となります。

3 内容

その後、目を覚ました武紀は『エタノール イノセンス』のヒロインたちがゲームの筋書き通りに振る舞っているということに気付きます。そして、ゲームの筋書きの全てを把握している武紀は、実質的に彼女たちに関わる事柄については未来の出来事を把握しているに等しいため、その知識を活用して、ヒロインとの日々を満喫します。

これだけですと、主人公がヒロインとイチャイチャするだけの話であるように思われますが(実際にそうしたところもありますが)この作品の肝は前述したように、ゲームの世界の人物が現実の世界に現われ、ゲームの筋書きが現実として展開された場合のシミュレーションが描かれているという点にあります。

話を戻しますと、ヒロインとの日々を満喫していた武紀は、ゲームのヒロインたちはそれぞれが個別に問題を抱えており、その問題は個別ルートで解消されるという事実を思い出します。

これは実際のノベルゲームにおいても確認される構図でして、ノベルゲームには共通ルートと個別ルートと呼ばれる区分があり(全てにこの区分が当てはまるというわけではありません)、共通ルートで一定の条件を満たした場合に個別ルートに入ることができるという作りになっています。そして、個別ルートに入った場合にヒロインの個別の問題は解消されるのです。

ここまでにゲームの筋書きを参照項に行動の指針を立ててきた武紀は、ヒロインの問題を解消すべく、個別ルートに入るための条件を達成しようとします。

しかし、ここで問題が発生します。

あるヒロインの抱えている問題を解消しようと奔走していた武紀は、ある時に別のヒロインの抱えている問題も発生していることに気が付きます。

ここで補足を入れますと、ノベルゲームにおいてはある個別ルートに入った場合、それと並行して別の個別ルートの展開が進行するということはシステム上発生しません。

そして、発生している問題は一つではなく、現実世界に現れたヒロインの全ての問題が並行して発生しているという事実が明らかになります。

このように、この作品ではノベルゲームの個別ルートの筋書きはゲームのシステムのもとにあるからこそ、それらは独立して成立しているのであって、それらが現実に展開された場合にはシステムが無いことでそれらが同時に発生してしまうという事態が描かれているのです。

この事実は、今まではゲームの筋書きを指針に行動していた武紀には大きな衝撃を与えることとなります。何故ならば、ノベルゲームにおいては、それぞれの個別ルートが同時に発生するという事態は発生しないため、この事態を収拾するための指針となるような筋書きは原作には存在しないのです。

以上のことから、冒頭部分では筋書き通りの理想の生活が描かれ、次に筋書き通りに行動していたがために対処できないような問題の発生が描かれるといった展開がなされています。しかし、この作品でとりわけ秀逸であるように思われた点は問題発生から問題解決という一連の描写の背景にある論理展開にあります。以下では、そのことを中心に確認したいと思います。

まず、問題発生についてですが、これは先の個別ルートの並行進行が挙げられます。なかでも、ヒロインのなかには大病という問題を抱えているヒロインもおり、武紀は早急に問題を解決する必要に迫られます。

次に、問題解決についてですが、ここで武紀がとった選択は全員のヒロインの問題を解消するというものでした。そして、その行動はまさにこの問題がゲームの筋書きの外にあるものであるという事実に裏付けられています。つまり、ゲームの筋書きから外れているからこそ、ゲームの筋書きにある選択群にとらわれる必要がないということです。

このように、全員が救われないような展開であるからこそ、全員が救われるという逆説が本作品では描かれています。そして、この描写は単一のルートと問題解消がセットで描かれるという、『エターナル イノセンス』のような手法に示唆的なところがあるようにも思われました。

4 後書き

以上が『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』についての所感のまとめとなります。この作品は連作でこれ以降も作品は続くのですが、そこではまた異なる問題が描かれているので、そちらについても後に言及するかもしれません。

『BEATLESS』感想

■前書き

 

お久しぶりです。今回は、以前に読み終えた『BEATLESS』の感想をまとめていきたいと思います。そして、『BEATLESS』と言えば、アニメ化されて現在も放送されている作品ですが、アニメ版については視聴していないため、本記事では原作『BEATLESS』の内容についての言及が中心となります。

 

■あらすじ

以下、本書(上巻)の裏面のあらすじの引用

 

100年後の未来。社会のほとんどをhIEと呼ばれる人型アンドロイドに任せた世界では、人類の知能を超えた超高度AIが登場し、人類の技術を遥かに凌駕した産物≪人類未踏産物(レッドボックス)≫が生まれ始めていた。17歳の遠藤アラトは四月のある日、舞い散る花弁に襲われる。うごめく花弁からアラトを救ったのはレイシアという美しい少女のかたちをしたhIEだった。

 

■雑感

 

以下では、はじめに本作品のアナログハックがどのようなものであるかについての確認を行い、後にアナログハックについての確認を下敷きに本作品で描かれていた人とモノとの関係性という点についての確認を進めていきたいと思います。

 

□アナログハックについて

1アナログハックとは何か

 

まず、アナログハックとは何かについての確認から始めたいと思います。以下引用

 

 

「アナログハック!hIEが、人間の形をしているけど、人間と同じ意味を持っていないこと。形が同じだから、意味を判断する人間側が勝手にズレを作って錯覚にはまり込んじゃうの・・・」上巻p108

 

 

 

「カタチを利用して人間を自発的に動かすっていう、社会へのハッキングを行ったのよ」上巻p108

 

 

以上の記述から、アナログハックは人間の認知を逆手にとって、自発的な行動をうながすことであると言えるでしょう。次に、このようにアナログハックが成立する背景とはどのようなものであるかについての確認に移ります。

 

2アナログハックの背景

 

アナログハックが可能となる背景には、第一に人間がどのようなかたちで認知を行うかが把握されていること。第二に、認知の仕組みを前提にどのような性質にどのような認知が働くかという傾向が把握されている必要があること(これはアナログハックが行動を誘発するものであることを考えると、どのような振る舞いでどのような行動が誘発されるかの傾向性が把握されていることは技術として運用されるうえで必要であるように思えます)そして、傾向性を把握できるようなものが成立していること の二点がおよそ挙げられるように思われます。以下では、それぞれが作中でどのように描かれているかを確認したいと思います。

 

まず、人間がどのようなかたちで認知を行うかが把握されていることについてですが、作中では以下の記述で認知の性質についての言及がなされています。

 

 

「視覚って、頭で意味を考えるより速いから、考える前に人を動かせるの・・・」上巻p110

 

 

 

ビジョンはいつも生命よりも機敏だ。アナログハックは、そもそも視覚によるビジョンの受け取りが生物としての判断よりも高速だから、好意にセキュリティホールを開けられるものだ。つまり、情報から像を想起する速度に生命はいつも振り回される。下巻p492

 

 

このことは、アナログハックが可能となる背景には人間の視覚による認知の帰結としての行動は認知された対象の意味についての判断をした後での行動に先行するという事実があることを示唆しているように思われます。つまり、判断に先行して、自動的な反応を返すような傾向性が人間には備わっていると言え、アナログハックはこのような傾向性を前提に成立していると言えるでしょう。

 

次に、認知の仕組みを前提にどのような性質にどのような認知が働くかが把握されている必要があることと傾向性を把握できるようなものが成立していることについてですが、このことについては作中で渡来銀河という人物が言及しています。以下引用部分

 

 

あらゆるHIEのセンサー情報は、それぞれ行動管理クラウドに送り返されて、ここで処理を受ける。このとき、ユーザ―によるhIEの使われ方の情報が、データ自身について記述したメタデータとして、ネットワーク上に繋留される。上巻p443

 

 

 

IEの行動管理クラウドは、自らの質を高めるために、多くの人間用のクラウドサービスと提携している。人間のほうのサービスは、百年以上前からあって、人間にどこかでつながっているデータと、それを扱う中間管理プログラムを膨大に集めている。集まったデータには、こういう濃淡がある。上巻p445

 

 

 

人間がクラウドに要求することで、クラウドには、要求と、似た欲求にスピーディーにこたえるための予習のデータの両方が残る。そのせいで、何年も経つと、よく使われる処理には膨大なデータが高く積み上がり、そうでないところはまばらになる。上巻p445

 

 

 

このクラウド群からは否応なく人間の要求の像が浮かび上がる。集まった要求の濃淡は、サービスが歴史を積むほど人間を精密に形作る。上巻p445-446

 

 

以上の引用部分の内容を要約すると、hIEの一連の行動は、行動管理クラウドや外部のクラウドサービスに蓄積された、hIEが人間にどのように扱われ、どのようなものが望まれているかという情報を参照になされています。また、このようなクラウドサービスでは人間の要求する振る舞いという基準でデータが集積されているからこそ、諸々の振る舞いを好悪という基準で振り分けることを可能にするように思われます。そして、このようなデータベースがあることで振る舞いにより行動を誘発するというアナログハックは可能となっていると言えるでしょう。実際に作中では行動管理クラウドのデータベースに蓄積された情報を参照にレイシアがとった行動にアラトが行動・感情を誘発されている場面が認められます。

 

3アナログハックの一般性

 

前節では、アナログハックが可能となる背景についての確認を進めましたが、ここではアナログハックがhIEと人間のあいだでのみ発生する現象ではなく、人間と人間のあいだにも発生する現象であることを確認したいとおもいます。

 

まず、アナログハックが人間と人間の間においても発生する現象であることを確認するにあたって、作中のエリカ・バロウズというキャラクターについての確認から始めたいと思います。彼女は「二〇一一年生まれの人間で二〇二七年に当時開発されたばかりの被験者になった。その後、七十七年が経過した後に二千百四年に目覚めた」p533という背景を持つキャラクターです。そして、彼女はアナログハックなどが成立していない時代に生まれ、現在そのような技術が当たり前のようにある時代に目覚めており、そのような彼女がかつて生きていた時代においてもアナログハックのようなものは成立していたと主張していることはアナログハックが固有な現象でないことを裏付けているように思われます。以下引用

 

 

いい加減でないとアナログハックなんて機能しない。わたしが子どもだったころだって、ハックみたいに、架空のキャラクターに誘導されていたもの。純粋な架空情報ではなく人が演じる架空の人物や神なら、ずっと昔、たぶん文明の始まりからよ 上巻p554

 

 

また、エリカはファビオンMGというメディアグループのCEOを務めているが、そこでの仕事においてユーザに大きな影響を及ぼしている。そして、このことはかたちで人間を誘導するシステム、つまりアナログハックが経済によって制御されるという事実を認識していることに負うているとされている。以下引用

 

 

かたちで人間を制御するシステムは、そのかたちに破壊的な影響をおよぼす経済によって制御される。そういう仕組みをよく認識しているから、彼女はファビオンMGの仕事でユーザ層に大きな影響を及ぼしている 下巻p156

 

 

以上のことから、百年前にも生きていた人物の視点を経由することでアナログハックという現象はhIEと人間に固有のものではなく、人間と人間のあいだにおいてもモノを経由することで発生するという事実が確認されたと言えるでしょう。そして、アナログハックがhIEと人間に固有のものではないという事実から、アナログハックが成立する背景もこの時代に固有のものではないということが言えるように思われます。それはアナログハックについての問題が過去との連続性をいくらか有することを示唆していると言えるのではないでしょうか。

 

4アナログハックをめぐる問題について

 

前節では、アナログハックという現象がhIEと人間に固有の現象ではないことを確認しましたが、ここでは、アナログハックについての問題の確認を中心に進めていきたいと思います。

 

まず、アナログハックへの批判的立場の一つとして、hIEが人間社会の多くの場所で機能しており、アナログハックで人間の行動が誘発されているという事実に批判的であるという立場が挙げられます。要約すると、社会でhIEが果たす役割が拡大することに脅威を覚え、そのことを主張する立場であると言えます。そして、このような立場の主張の背景にはアナログハックという現象は道具を使用する人間と道具として使用されるhIEの主客の転倒を引き起こしており、そのような事実は主張者の価値基準にそぐわないということがあるように思われます。

 

しかし、前節で確認したようにアナログハックという現象はその時代に固有な現象ではないことが示唆されています。そのことから、作中でのアナログハックへの批判的な立場は、その現象が固有のものではないという事実から一定退けられるように思われます。つまり、アナログハックはHIEと人間に固有な問題ではなく、より広範な問題として扱うという立場が対立意見として浮上してくるのです。しかし、アナログハックによって人間とhIEの立場が逆転しているという事実への忌避感自体は退けがたいように思われます。

 

そして、このことについては道具と人間という観点から問題を整理することで解決するように思われます。以下では道具と人間という観点からアナログハックをめぐる問題についての整理を試みたいと思います。

 

□道具と人の関係性

 

まず、本作品で道具がどのように位置付けられているかについての確認から始めたいと思います。ここでは、上巻でアラトの父、遠藤コウゾウの発言を参照項に道具の位置付けについての確認を始めたいと思います。以下引用

 

 

「時間のために、人間は、仕事を嘱託して外部化する。だから、人間にとって理想の道具とは人間と意志が通じて、かつ道具のように働くものなんだ。けれど、歴史的には、道具の性能がそこに追いつかなかった。だから、奴隷を求めたり仲間になったり会社組織のようなものを作ったりもして、人間を道具のように働かせてきた。」上巻p436

 

 

 

「・・・今の道具のインターフェースが、応答性が高くてわかりやすいのだって、道具を人間に近づけるためだ。道具と人間は、一見離れているが、時間を開放するという同じレールに乗っている」

 

 

以上の発言から、道具は時間の縮減、つまりは過程の省略を可能とするようなものであると言える。そして、hIEは意思疎通可能で人間に可能な行動を嘱託可能であるという点から理想的な道具であるとされている。事実、hIEが人間にとっての過程の省略という点から理想的な道具であることは、本作品でhIEが社会中のいたる場所で活躍している事実が明示されていることを踏まえると説得力を有するように思われる。つまり、従来は人間が行っていたような作業も代替可能となったことで人間にとっての過程の省略は達成されているのです。

 

更に、このことを踏まえるとアナログハックについての問題も整理可能であるように思われます。まず、hIEは、従来は人間が担っていたような作業を嘱託されているという点で道具であると言えます。そして、hIEのアナログハックも従来は人間のあいだでなされていたことが外部化されたものとして理解できるでしょう。そのため、アナログハックは人間の間でなされていたものが嘱託されたものであることから、hIEの問題ではなく、人間の問題として扱われるものであるように思われます。このように道具と人間という観点を経由することで人間とhIEの主客転倒現象はhIEが道具であり、人間に可能な作業のいくらかを外部化されているために発生していると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

■まとめ

 

ここまででアナログハックと人間と道具の関係性という二点についての確認を進めてきましたが、本書でとりわけ印象的であった点は道具と人という軸が導入されていることで被造知性脅威論のようなものが異なる問題系に読み替えられるようなつくりとなっていることでした。

 

『刺青の男』感想

1前書き

 

お久しぶりです。以前にお勧めいただいた『刺青の男』を読み終えたので、今回は『刺青の男』に収録されている各短編についての所感を中心にまとめていきたいと思います。

 

2概要

 

まず、あらすじの確認から始めます。

 

ある昼下がり、わたしは身体中に無数の刺青が彫られた男と出会う。彼が言うには彫り込まれた刺青は彼が眠ると蠢きだして、それぞれが物語を紡ぎ始めるらしい。そして、夜が訪れ、それぞれの刺青は物語を紡ぎ始めた・・・

 

本作品では以上の「刺青の男」を枠組みの物語に他18個の短編が収録されているという構成がとられています。また、各々の短編は独立しており、背景設定などは共有されておりません(恐らくは)そのため、どの短編からでも読み進めことが可能なつくりとなっているように思えました。

 

3各短編 所感

 

以下では本作品の収録されている18個の短編についての所感をそれぞれまとめていきたいと思います。

 

1 草原

 

日常的な家事や育児などを自動的に負担する機能が備え付けられた家屋、ハッピーライフホームが舞台の話。家事や育児などを外部化しすぎたために親子関係自体が転倒してしまうところが話の肝であるように思われた。テクノロジーの発展に伴った、人間関係の変容は以前に読んだ『華氏451度』においても描かれていたが、こちらは結末などからややホラーテイストなところが強い。

 

2 万華鏡

 

本作品に収録されている短編のなかでもお気に入りの作品の一つ。ロケットの破裂から船外に放り出された宇宙飛行士たちが死に至るまでの過程が描かれた話であらすじとしてはシンプルなのですが、とりわけ心理描写が印象的でした。船外に放り出され、死を待つのみの彼らは誰かの汚点を晒し上げることで自身の生に意義があったことを相対的に主張しようとするも、後に死が近づくにつれて、各々がみじめさを抱えたままで死ぬよりも生に納得したうえで死を迎えることができるように配慮するようになる。このような転換が印象的で死を待つものたちのコミュニケーションの意義が浮き彫りになっているように思われました。また、結末の視点転換が良い。

 

3 形成逆転

 

火星に移住し、そこで労働をさせられていた黒人たちのもとに核戦争で荒廃した地球から白人が訪れるという話。個人的に言及しづらい作品です。素朴な感想として、そこまで戦争が継続していたことが愚かしさを呈しているように思われるところがありました。

 

4 街道

 

核戦争が始まるも、そのことを知らない男を視点人物とした話。視点人物のエルナンドは、諸々の描写から辺境の街道に住んでおり、そのことから世情には疎いように思われる。そして、蚊帳の外のエルナンドを脇に状況が刻々と進展していくという描写は視点人物と状況のギャップを浮き彫りにしており、コメディ的な面白みがあるように思われました。

 

5 その男

 

ある宇宙隊は長旅の末にたどり着いた星に着陸するも、彼らを出迎えるものが一人も来ないことを不審に思った隊長は部下を街に向かわせる。そして、戻ってきた部下が言うにはこの星にはあの男が来ているらしく、町はそのことで賑わっているという話。あの男については面識がある人々が述べる内容も異なり、正体は漠然としたままで終わる。後半部分に隊長と三人の部下のみが星から発ち、他のものはその場にとどまるという場面があるが、ある種の開拓精神のために安らぎを得ることができないという図式がここには見られるように思われました。

 

6 長雨

 

舞台は金星で雨が降り続くなか、安息できる場所を求めて歩き続ける男たちの話。徐々に精神的・肉体的な疲労を覚え、やがては狂気の至る男たちの心理描写がとりわけ印象的でした。

 

7 ロケットマン 

 

宇宙飛行士の父をもつ少年の話。物悲しい結末が印象的でした。

 

8 火の玉

 

宇宙開拓時代に宣教師が火星に向かい、現地の人々を教化しようと試みる話。あらすじとしてはシンプルだが、ぺリグリン神父という弁の立つ神父の講釈が際立っているように思われた。以下引用。

 

「・・・火星の世界に、もしかりに新しい五感や、器官や、われらには思いもよらぬ透明な手足などが存在するとすれば、そこには五つの新しい罪がありはしないだろうか」[i]

 

9 今夜限り世界が

 

これもお気に入りの作品の一つ。世界滅亡前のある夫婦の一夜についての話。以上のようにあらすじはきわめてシンプルで話としても短いのだが、終末においても変わらぬ日常が描かれており、その描かれかたがとてもよかったように思われた。以下引用

 

「水道の蛇口がちゃんとしまっていなかったの」と、妻は言った。

なぜか突然おかしくなって、夫は笑い出した。

妻も自分のしたことがこっけいだと気付いて、夫といっしょになって笑った。[ii]

 

ここでは、終末を前にして、明日のための生活というものが実質的な意味をなさなくなった世界においても、なお普段のように振る舞う姿が描かれていますが、ここでの妙味はそのことが一緒になって笑う夫婦から間接的に描かれていることであるように思われました。また、ここから緩やかにフェードアウトを迎えるところも踏まえて、とても印象的で好きな場面です。

 

10 亡命者たち

 

宇宙船の乗組員たちは突然原因不明の痛みに見舞われるも、目的の星を目指すという話。目的の星では焚書指定された書物の著者らが暮らしており、宇宙船が着陸することを防ごうと奔走するなど寓話としてのテイストが強い作品でした。

 

11 日付のない夜と朝

 

宇宙船の乗組員の一人が発狂してしまう話。ヒッチコックの主張自体はどこかで目にしたことがあるようなものでそれ自体に新鮮さは感じられなかったものの、宇宙船を舞台にこの種の悩みが取り上げられているところは面白いと思いました。

 

12 狐と森

 

戦時下にある未来から時間遡行してきた夫婦が何とか追っての手を免れようと奮闘する話。

過酷な未来から時間遡行してきた夫婦の視点を中心に描かれていることもあって、その時代の文化が輝かしいものとして描かれており、過去の文化への郷愁のようなものが通底しているように思わせられた作品でした。

 

13 訪問者

 

病に冒され、地球から別の星への移住を余儀なくされた人々のもとに不可思議な能力を備えた男が訪れる話。各々が自身の利益を求めるあまりに協同することが出来ず、その結果求めていたものが失われてしまうというオチで教訓性が色濃く出ているように思われました。

 

14 コンクリート・ミキサー

 

侵略を目的に火星から地球に発った人々は現地で思わぬ歓待を受けることになり、後に・・・という話。これもテクノロジー批判の要素が見られる作品であるように思われました。

 

15 マリオネット株式会社

 

本人の身代わりとして動くマリオネットについての話。道具を使用する側と使用される側の関係が転倒するという筋は「草原」を思い起こさせるところがあった。

 

16 町

 

宇宙船がある星に降り立つも、降り立ったさきの町が実は人類に滅ぼされた種族が作り上げたものであったという話。本作品に収録されている短編のなかでは最もホラーテイストが強いように思わされた一作。人間が別の何かに作り替えられていくシーンはとりわけ印象的でした。

 

17 ゼロ・アワー

 

大人たちが子どもたちのあいだで流行る遊びに違和感を覚えるも、そのことを問題としなかったがために致命的な結末を迎えるという話。これもホラーテイストが強い作品でした。

 

18 ロケット

 

これもお気に入りの作品の一つ。テクノロジーの発展に伴い、宇宙旅行が可能となるも費用の問題から家族での旅行は厳しいという状況をある種の詐術で解消する話。資金の不足という現実的な問題を模造ロケットで解消する。客観的に見れば、そこで採られる方策は詐術であるが、子供たちが得た楽しさは本当であるという図式が印象的な作品。抒情的な筆致が強く出ている作品であるようにも思われました。

 

4 総括

 

いずれの短編も良かったように思われました。なかでも「万華鏡」「今夜限り世界が」「ロケット」の三作品はお気に入りと言える作品です。氏の作品では次に『火星年代記』を読み進めたい。

 

                                            

 

 

[i] レイ・ブラッドベリ『刺青の男』p176

[ii] レイ・ブラッドベリ『刺青の男』p215

『華氏451度』感想

前書き

この記事にはネタバレが含まれています。

先日『華氏451度』を読み終えたので、今回は自分がこの作品を読み進めるなかで印象的であったことを中心にまとめていきたいと思います。

以下では本題に移る前にまず簡単なあらすじの確認から始めます。

 

あらすじ

 

指定された書物の焼却を仕事とする焚書官のモンターグは、ある日の帰路にてクラリスという名前の少女と出会い、以降彼女と交流を重ねる過程で自身の置かれている現状に徐々に疑問を抱き始める。そして、モンターグは好奇心から何冊かの本を読み進めていくことになり、やがてはその行動が彼の環境を大きく変えることとなる・・・

 

舞台はテレビやラジオなどのメディアが主流なものとして台頭している社会で、指定された書物は所持することを禁止されており、所持が発覚し次第焚書官がそれらの書物を焼却するというシステムが成立していることから、メディアとしての書物はすっかり後景に退いています。

 

以上が大まかなあらすじとなります。以下では印象的であったことをいくつかのトピックに分けて確認していきます。

 

1コミュニケーションの様態の変化

 

モンターグにはミルドレッドという名前の妻がおり、彼女はラウンジ壁と巻貝という二つのメディアに執心しています。そして、ラウンジ壁とラジオはそれぞれがテレビとラジオに相当するもので、作中の描写(以下引用)から彼女が日頃よりそれらのメディアに親しんでいることが伺えます。

 

 

巻貝で十年の訓練を積んでいるので、ミルドレッドは読唇術のエキスパートである。[i]

 

 

印象的であった点は、彼女とのコミュニケーションが、身近にいながらも意識は別の方向を向いているという点から一方向的なものとして描かれている点にありました。

そのような点はモンターグにも意識されていて、いくつかの描写(以下引用)からそれが伺えます。

 

 

さて、そのあたりを考えだすと、そもそもミルドレッドと自分とのあいだには壁がある。文字通りの壁、一枚どころか、いまや三枚だ![ii]

 

 

 

「もう誰もぼくの話など聞いてくれません。壁に向かってはしゃべれない。向こうがぼくに向かってわめくだけですからね。妻とも話せない。妻は壁の言うことしか耳に入らないんです。」[iii]

 

 

以上の二つの描写に見られるように、モンターグは彼女とのコミュニケーションが一方向的なものであることを意識しています、そして、このようなコミュニケーションの様態の端緒にラウンジ壁や巻貝などのメディアが台頭していることが位置付けられているように思われました。

 

2書物の位置付けについて

 

クラリスとの出会いを契機に現状に疑問を抱くようになったモンターグは、やがて書物に触れるようになるのですが、そのような彼が書物に寄せる思いは以下のような箇所に現れているように思われます。

 

 

「・・・だから、本が助けになるかもしれないと思ったんです。」[iv]

 

 

モンターグは、それまでに現状に疑問を抱くことのなかった自分が書物に触れることで新しい視座を得ることができると期待している節があり、そのような彼は書物のことをある意味で啓発的なものと見なしているように思われます(そして、このような彼の意識は後に妻の知人に詩を朗読することで彼女たちの意識を改革せしめんとするシーンに現れているように思われます。)ですが、このように述べる彼にフェーバーという教授は以下のように返答します。

 

「・・・書物には魔術的なところなど微塵もない。」[v]

 

ここでは、モンターグが書物に寄せている期待が否定されています。そして、本作品では書物が禁止された社会で書物に触れていく焚書官を視点に話が展開されていきながらも、先一連の描写から書物を過信することの危うさについても描かれています。また、このことは前述したラウンジ壁(テレビ)や巻貝(ラジオ)によるコミュニケーションの様態の変化が描かれており、それらのメディアがある意味批判的に描かれていることも踏まえると、本というメディアをする過信ことの危うさについても触れられているという点で巧妙なバランスであるように思われました。

 

総括

著者の名前自体は知っているものの過去に氏の著作に触れた経験がなく、『華氏451度』が初めて触れる作品でしたが、抒情的な筆致が印象的な作品でもありました。氏の短編集にも触れてみたいので、今後は『刺青の男』か『太陽の黄金の林檎』を読み進めたい。

 

 

 

[i] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p33

[ii] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p75

[iii] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p137

[iv] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p138

[v] レイ・ブラッドベリ華氏451度』p138