『魔女こいにっき Dragon×caravan』感想

1 前書き

 

今回は『魔女こいにっき Dragon×caravan』の再読を終えたということで、本作品についての所感をまとめていきたいと思います。また、以下の内容は作品についてのネタバレを含みます。

 

2 あらすじ

 

春先、南乃ありすは学園の時計塔で願うと幸せになれるという噂を確かめるべく、放課後に友人たちと時計塔へ向かう。時計塔に着いた後、ありすは時計塔から落ちてきた日記を拾う。その後、自宅にて日記を開くとそこには桜井たくみという男性の視点から自身に身近な女性との関係が描かれていた。そして、日記のページが日を追う毎に追加されていくことを不審に思い、ありすは桜井たくみという人物と日記の調査に乗り出す。

 

3 所感

 

はじめに、本作品では冒頭部分で以下の図にあるような展開がなされます。

 

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以上の図に見られるように、ここではある男女の関係性の推移が描かれています。そして、この例に見られるように物語の非永続性という主題は本作品の随所で描かれています。以下では、そのことを中心に確認を進めていきます。

 

さて、本作品では前述したような主題を浮き彫りにするような構成がとられており、そのような構成がとられていることで後の展開が補強されるといった関係が認められます。

 

では、そのような構成とはどのようなものであるのでしょうか。以下では、本作品の大まかな展開を概観しつつ、そこから浮き彫りになる事柄の確認を進めていきます。

 

まず、本作品では二人の人物の視点が交互に切り替えられつつ、物語の進行がなされていくことを前提に、ありすの視点のあらすじの確認をもう少し進めていきます。

 

先のあらすじにあるように、ふとした出来事からありすは日記を入手し、それを読み進めていきます、そして、日記を読み進めるなかで桜井たくみという人物の視点から自身の身近な人物との関係が描かれていることに気付きます。しかし、そこで描かれていた人物に日記の内容を尋ねるも、当人はそのようなことに覚えはないと返します。そのような奇妙な状況に置かれるなかで、マスコットサイズのドラゴンがありすのもとを訪れます。ドラゴンは自身をバラゴンと名乗り、桜井たくみはジャバウォックという名前の魔法使いであり、彼のせいで街が危険に晒されていると告げます。そして、日記の欠けたページが街中に散らばっており、それを集めることでジャバウォックの思惑を阻止するように頼みます。ありすは提案を受け入れ、日記を探すために街へと繰り出します。

 

以上がありすの視点のあらすじとなります。そして、彼女の視点で日記の欠けたページが集められ、それが読まれる際にジャバウォックの視点に切り替わるという構成がとられています。

 

次に、ジャバウォックの視点ではどのような展開が描かれているかについての確認に移ります。

 

先のあらすじの概観で少し触れたところですが、ジャバウォックの視点では個別のヒロインとの関係が主に描かれていきます。その意味で、そこで描かれている展開は各ヒロインの個別ルートに対応していると言えます。

 

では、個別ヒロインとの関係はどのように描かれているのか。ここで重要である点は、いずれの個別ルートにおいてもジャバウォックはそのルートのヒロインと結ばれているものの、

最終的にヒロインのもとを去ることにあります。そのため、個別ルートでの恋愛模様はいずれも離別というかたちで終わっているのです。

 

以上がジャバウォックの視点における展開の大まかな確認となります。

 

次にこのような背景を踏まえたうえで本作品の構成が浮き彫りにしている事柄の確認に移ります。

 

さて、前述しましたように、ジャバウォックの視点では個別のヒロインとの恋愛模様が描かれており、最終的にいずれの関係も離別に終わります。そして、このような展開の類似性はありすの視点で明かされる事実を踏まえるとある事柄を浮き彫りにするように思われます。

 

それは、ジャバウォックの視点で描かれている物語が、ありすの視点では過去に起こった出来事であり、当事者たちはそのことをただ忘れていること。そのことから、それぞれの個別ルートもそれぞれが可能性として独立しているのではなく、いずれも実際にあった出来事であるということです。

 

この事実を踏まえると、作品の随所で言及されている、物語の非永続性という事柄がこのような構成のもとで浮き彫りになっているように思われます。

 

では、物語の非永続性とはどのようなものであるかをいくつかの例を交えつつ、確認を進めていきます。

 

まず、物語の非永続性を確認するにあたって、本作品で物語というものがどのように位置付けられているかを確認することから始めます。

 

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上の図にあるようにジャバウォックは物語とはどこかにありそうでどこにもないものであり、恋愛や神やヒーロ―などもそれに類するものであると主張します。この主張から、本作品で物語とはフィクションを指すものではなく、広範な対象を指示する語句として位置付けられていると言えます。さらに、物語は現実に対置されるものとして位置付けられていることが以下の図から読み取れます。

 

 

次に、非永続性はどのように位置付けられているかを一つの例から確認を進めていきます。

 

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上の図にあるように、崑崙は例を挙げつつ、その例から物語というものは永続するものではないことを示唆しています。そして、先に挙げた例で恋愛も物語に類するものとされていたことを踏まえると本作品で恋愛は永続しないものとして位置付けられていると理解できます。

 

以上の事柄を踏まえると、本作品では各ヒロインとの離別が同一の時間軸上で描かれているという事実が後に明かされるという構成がとられていることで、構成自体が物語(恋愛関係)の非永続性を浮き彫りにしていると言えるのではないでしょうか。そして、このことはTRUE END で描かれている問題を補強しているように思われます。以下では、ここまでに確認を進めてきた内容を踏まえた上でTRUE END で描かれている問題についての確認を進めていきます。

 

はじめに、TRUE END で描かれている問題についての大枠の確認から始めます。TRUE END のあらすじとしては、ジャバウォックのかつての妻、アリス(注:南乃ありすとは異なる)が登場します。そして、ジャバウォックが自身のことを置き去りにし、他の女性にうつつを抜かしていたことを糾弾します。しかし、ジャバウォックは彼自身の主張からアリスの主張を退けます。そのような彼の態度に業を煮やした彼女は彼に鉄槌を下す・・・というものです。そして、そこで問題とされていることはまさに両者の主張の対立の背景にあります。そのため、以下では両者の主張とその背景を確認したうえでどのような問題が描かれているかの確認を進めていきます。

 

まず、ジャバウォックの主張についてですが、彼の主張を確認するにあたってはTRUE END までに彼がとってきた行動を確認することが理解の一助となるように思われます。

 

先に確認しましたように、ジャバウォックは個別ルートであるヒロインと結ばれた後にそのヒロインの元を去ります。そして、重要な点は、彼は物語(恋愛)が永続しないことを理解しつつも、そのうえで一つの物語(恋愛)に真摯であることは可能であると考えていることにあります。また、物語が永続しないものであり、それと対置される現実は耐え難いものであるという考えから、彼は次から次へと物語を横断することは妥当であると考えています。このような考えは、実際に彼が複数のヒロインとの関係を次々に結んでいたことに現れています。そして、アリスとの思想の対立を理解するにあたって、彼の主張は非常に重要な点となります。

 

次に、アリスの主張についてですが、アリスの主張は物語が永続することが望ましく、一つの物語に真摯であることが望ましい態度であるというものです。そして、このような主張のために彼女はジャバウォックが自身を置き去りにし、他の女性と関係を持ち続けていたことを批判します。

 

以上のことから、ジャバウォックとアリスの主張は物語というものにどのような態度をとることが望ましいかという点で対立しています。問題とはまさにこの点にあります。

 

では、先に確認したように本作品の構成がどのような点でこの問題を補強しているかを確認していきます。

 

まず、前述したように本作品では構成から物語の非永続性が浮き彫りにされています。そして、物語は永続することが望ましいというアリスの主張とこのことは相反するものです。そのため、物語の非永続性という点からアリスの主張は退けられます。実際にジャバウォックは物語が永続しないということから、一つの物語に固執している態度を批判します。

 

では、ジャバウォックの態度に問題は無いかと言えば、ジャバウォックのかかわったヒロインたちは彼のことをほとんど忘れているという点でこのようなことは問題となりませんでしたが、アリスの場合は彼女がジャバウォックのことを記憶しているという点から問題が発生していると言えます。つまり、アリス以外のヒロインとの関係は、ジャバウォックのみが記憶を保有しているという点から非対称なものでそのことで彼の態度は独断的に保障されていたように思われます(例外はありますが)。そして、アリスとの関係は、双方が記憶を保有しているという点から対称的なものでそのために彼の態度が独断的に保障されることがなかった。このように、独断的に態度が肯定されうる状況にあったことが彼の主張の問題であるように思われます。また、これらのことは、物語のなかに存在していたがために関わったものから忘れられてきたことから問題とならなかったことに焦点が当てられているという点から、物語以後(現実)でジャバウォックの主張がどのような問題を含みうるかを示唆していると言えるのではないでしょうか。

 

以上のことから、本作品の構成は物語がどのようなものであるかを浮き彫りにすることで対立の背景を補強しているように思われます。そして、両者の主張はいずれもが問題含みであると言えるように思われます。

 

では、物語にどのような態度をとるべきかという問題はどのように解消されるのか。最後にそのことの確認を進めていきます。

 

さて、物語にどのような態度をとるべきかという問題は『魔女こいにっき dragon caravan』で追加されたシナリオ、「黒の章・灼熱の王子と小さな竜」で描かれているように思われます。以下では「黒の章・灼熱の王子と小さな竜」のあらすじを簡単に確認した後にそこでどのように問題の解消が描かれているかについての確認を進めていきます。

 

まず、あらすじについては、転校生の真田甘楽は学園の時計塔のもとで塔の上から落ちてきた日記を拾います。その後、自宅にて日記を読み進めるなかで桜井たくみという人物の視点で学園の女性との関係が描かれていることに気付きます。しかし、そこで描かれている内容は桜井たくみが相手の女性に惨殺されるといった猟奇的なものでした。さらに、甘楽のもとにマスコットサイズのドラゴンが訪れます。ドラゴンは自身をブラゴンと名乗り、現在の桜井たくみは記憶を失っていることで正気を失っており、日記の内容をあるべきかたちに直すことで彼を元に戻すことができると告げます。桜井たくみと面識がある甘楽は日記を元の内容に直すべく奔走します。

 

以上が大まかなあらすじとなります。では、先に確認した問題はどのように描かれているか

 

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上の図では、物語が終わったとしても全てが終わるのではなく、残るものがあるということが主張されています。そして、この主張は物語が永続しないものであることを前提としたときにそれにどのような態度をとるべきかという問題に示唆的であるように思われます。それは、物語は永続しないものであるとしてもそれによって残るものはあり、それが次の物語を胚胎しているとするような考えです。この考えはアリスとジャバウォックの主張にあったような問題を含んでいないという点で先の問題を解消するような糸口を示唆しているように思われます。

 

しかし、先に確認したように本作品ではジャバウォックと各ヒロインとの個別ルートではまさに物語が終わるというところで個別ルートが終わるためにジャバウォックが去った後のヒロインの物語、エピローグにあたるものが描かれていないものもあります。そのために、物語が終わったとしても残るものがあるという主張を補強するような実例にあたるものが作中では描かれていないようにも思われました。

 

4 後書き

個人的に思い入れがある作品ということもあって、今回はこのようなかたちで感想を書き残しました。読み返したことで以前とは異なる所感を抱いたこともあり、読み返してよかったと思います。