『あなたのための物語』感想

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1 前書き

 

お久しぶりです。今回は『あなたのための物語』についての所感を纏めていきたいと思います。また、以下の内容にはネタバレが含まれております。ご注意ください。

 

2 あらすじ

 

西暦2083年。ニューロロジカル社のサマンサ・ウォーカーは人工神経制御言語、ITPの開発を進めていた。しかし、開発を進めるなかである問題が浮上してきた。それは感情の平板化と呼ばれるものであった。サマンサは感情の平板化という問題を解決するべく、開発チームを発足し、〈wanna be〉という仮想人格に小説の執筆をさせることで問題解決へのアプローチを試みようとする。そして、開発が進むなかでサマンサの身体に異常が発生する。医者の診断によると、それは自己免疫疾患で完全な治療の見込みはなく、遠くない未来にサマンサの死は確実であることが告げられる。しかし、サマンサはそのような病状下にあっても、ITPの開発の一線に携わることから退こうとはせず、積極的に〈wanna be〉のプロジェクトを推し進めていく・・・

 

以上が冒頭部分のあらすじとなります。以上のあらすじにあるように『あなたのための物語』ではサマンサの病状が進行し、死が近づくなかで〈wanna be〉のプロジェクトが進行されていくというかたちで物語が展開されていきます。

 

では、次に本作品への所感の確認に移る前に本作品の背景設定の確認から始めたいと思います。

 

背景設定の確認(ITPとサマンサの病気について)

 

それでは、以下では『あなたのための物語』の背景設定についての確認を進めていきます。はじめに、人工神経制御言語、ITPとは何かについての確認。次に、サマンサの病気とはどのようなものであるかについての確認。以上の二点の確認を進めていきます。

 

では、ITPについての確認に移る前にITPという技術の前身のNIPについての確認から始めたいと思います。

まず、NIPとは Neuron interface protocol の略称で、ナノサイズの微小なロボットを利用し、脳内に擬似的な神経を形成する技術を指します。例えば、NIPは宇宙での開発の現場などで導入されています、宇宙での事故は労働者に脳細胞の損傷を負わせることがあります。しかし、NIPは開頭手術なしにナノサイズのロボットを駆使することで脳内に擬似的な神経を形成するため、宇宙での事故にも対応することができます。纏めると、NIPはナノサイズのロボットで脳内に擬似的な神経を形成する技術を指し、その技術は宇宙での現場などに導入されてきました。

では、その後身のITPとは何か。ITPとは Image transfer protocol の略称で、ある神経の状態を模倣し、それを再現することで何らかの意思や意味を脳内で再現する技術を指します。先のNIPは元々あったもの(神経)を再現するものです。しかし、ITPはある人物Aの脳内の神経の状態をある人物Bの脳内の神経に再現することで、Aの感情などをBに再現しようとする技術なのです。この点がNIPとITPの最も異なる点であると言えます。つまり、ITPはある人物の脳内の神経を再現するだけではなく、拡張するものであると言えるでしょう。しかし、ITPにはある問題が発生しています。これは先のあらすじの確認で挙げたことなのですが、ITPには感情の平板化という問題が発生しています。

では感情の平板化とは何か。感情の平板化とは、ITPを実装された人が違和感を覚え、世界が色あせているように思えるという現象を指します。この問題はITPという技術を普及させるにあたって、目下の課題であるとされ、ニューロロジカル社では〈wanna be〉という仮想人格に小説を執筆させることで解決への糸口を掴もうという試みが実施されました。

 

では、次にサマンサの病気についての確認に移りたいと思います。

まず、サマンサの病気は自己免疫疾患と呼ばれるもので、主な症状は免疫機構が自分の身体を異物としてしまい、間違えて攻撃してしまうというものです。そして、この病気には現時点では治療法がないとされており、そのことでサマンサの死は約束されていると言えます。

 

以上が背景設定についての確認となります。次に本作品への所感についての確認に移りたいと思います。

 

3 所感

 

先に、ITPとサマンサの病気という二つの背景設定についての確認を行いましたが、本作品ではITPという技術・病気・死を媒介に人格の固有性・生得性が自明ではないことが

露わにされるように描かれているように思われました。そのため、以下ではそのことについての確認を中心に進めていきたいと思います。

 

まず、ITPが人格の固有性・生得性が自明ではないことをどのように露わにしているかについての確認を進めていきたいと思います。先に確認しましたように、ITPとはある人物Aの脳内の神経の状態を人物Bに再現する技術であると言えます。そして、この技術を利用することであらゆる人は自身にはない経験や感情を自身のうちに再現することが可能であると言えます。しかし、この技術はあらゆる経験を共有可能なものとすると同時にあらゆる経験には一切の固有性が認められないことも含意します。何故ならば、人々の経験が共通の基盤のもとになくてはそれらを共有することはそもそも不可能ですし、共有することが可能であるということは人物Aと人物Bの経験には違いが認められないことを意味するからです。このように、ITPは経験の固有性が自明ではないことを露わにします。そして、人格とは脳内の神経の状態のパターンであると仮定するならば、それもITPで再現可能である以上は固有性が認められないということにも繋がるように思われます。

 

以上がITPについての確認となります。次に病・死についての確認に移りたいと思います。

 

では、病と死は人格の固有性・生得性が自明ではないことをどのように露わにしているかについての確認に移りたいと思います。まず、そのことを確認するにあたって、以下の記述を参照したいと思います。

 

人間は情報化された外界を管理する特権的な主体ではない。むしろ情報に影響を受けることが、動物であり肉体であるヒトに人間性を与えている。ヒトは学ぶことで人間になる動物だからだ。[i]

 

ここでは人間性は生得的なものではなく、後天的に獲得されるようなものであるということが記述されています。そして、このことはサマンサの病状が進行するとより顕著に現れているように思われます。

 

死は、頑丈な足場を築いた気になっている者の、足元を崩しさす。そのとき、感覚器は断線し、呼吸程度の身体の実感も失い、鼓動で計るもっとも原始的な時間感覚すら途絶え、意識は自らを振り返ることもできずただ灰色である。ことばを思い出すきっかけなどない。ただ幸運にも生還できた者だけが、ことばも何もない、動物になった自分の絶叫のみが反響する灰色に溺れていたと知るのだ。[ii]

 

以上の記述はサマンサの病状が進行し、死が近づいているときの状態を巧みに表しているように思われます。本作品ではサマンサの病状の進行が緩やかなときには彼女にもある程度の精神的な余裕があるように描かれていますが、一方で病状が進行すると彼女は自身の倫理をも踏み倒し、現在の苦痛を取り除くためにITPを利用しようとします。このように死が近づくにつれて、ⅰの引用にあるように生得性であるように思われた人間性が後天的に獲得されたもので、その粉飾が剥ぎ取られていく様が描かれていきます。

 

以上のことから、本作品では技術と病による死という二つのモチーフを媒介に人格の固有性・生得性が自明ではないことが描かれているように思われます。そして、それぞれのモチーフは独立しているのではなく、例えば、サマンサが病気の苦痛から逃れるためにITPを利用したように、それぞれが影響しあうように描かれているという点で巧みであるように思われました。また、サマンサの病状についての描写は克明なもので強く印象に残っており、それもまた巧みであるように思われました。

 

ここまでに本作品で技術と病を媒介に人格の固有性・生得性が自明ではないことが描かれていることを確認してきましたが、最後にITPが死の固有性を揺るがすことについての問題がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。まず、先に確認しましたようにサマンサは病状が進行した際に病気の苦痛から逃れるためにITPを利用しようとします。具体的には、別の人物の神経のサンプルをベースとしたITP人格を脳内に書き込むことで現在のサマンサの意識をその人格で上書きし、現在のサマンサが体験するはずの苦痛を和らげようというものです。そして、サマンサは、一度はそれを実施します。しかし、死に瀕した際に自身の神経のサンプルをベースとしたITP人格から、サマンサの神経のうえにITP人格を上書きすることを提案された時にはそれを拒否します。ここには、ITPと死の固有性についての示唆が含まれているように思われます。

 

ITPで、人間を、人格っていうソフトウェアとハードウェアとしての肉体に分離できるようになった。でも、生存という動機は、肉体の上で再生したとき、はじめて一貫性を持つのよ[iii]

 

以上の引用において、サマンサはITPが実現されたことで人格の固有性は損なわれ、肉体を持たない人格(ITP人格)というものが現れたが、だからこそ、既存の肉体と人格のセットはある種の既得権益であると主張しています。そして、そのためにサマンサは既得権益にあやかろうというサマンサ(ITP)の提案を拒否します。このように、ITPが実現されたことで人格の固有性は損なわれたが、だからこそ、既存の人格と肉体を重視する必要があるという思想が説かれています。そして、このような思想のもとではITPを利用することで人間の死を廃絶するということは不可能となるように思われます。何故ならば、ITPの人格に既存の人格と同様の権利が認められない以上、サマンサ(ITP)の提案は実現しないからです。そして、このことはITPの実現で人格の固有性は損なわれたが、一方で死のみがその固有性を担保されていることを意味しているように思われます。このことは以下の記述にも認められるように思われます。

 

彼女自身の死は、一人称でしか語りようのない体験だ。[iv]

 

4 後書き

 

以上で『あなたのための物語』についての所感の確認は終わりとなります。そして、作品を読み返すなかで、サマンサの病状についての記述の克明さはとりわけ印象深いところであることが再確認されました。そのため、そのような描写に抵抗があるかたには厳しいところもあるかもしれません。

 

 

[i] 『あなたのための物語』p336

[ii] 『あなたのための物語』p6

[iii] 『あなたのための物語』p419

[iv] 『あなたのための物語』p309