『刺青の男』精読 第一回

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1 前書き

 

今回は『刺青の男』の『草原』がどのように構成されているかをそれぞれのパーツに分解することで明らかにしようという試みを進めていきます。以前の記事で書いたように、最近は創作に関心を持っていて、『沖方丁ライトノベルの書き方講座』を読むなどをして、とりあえずは方法論の蓄積を進めているのですが、そのようななかでTwitterのフォロワーのfeeさんという方に「シーンを分解してみると、参考になるのではないか」というアドバイスを頂きました。そのことをきっかけに、今回は『草原』の分解を進めていきます。(また、今回の記事を書くにあたっては先方のブログの記事を参考にいたしました。)

 

(サンプル)

1.範囲

2.人物

3.人物の関係 

4.内容 

5.機能 

 

(説明)

1.ページの範囲です

2.人物名です

3.それぞれの人物の関係です

4.あらすじです。

5.それぞれの部分がどのような情報を提示しており、それがどのような役割を果たし         ているかについての分析です。

 

1.範囲 

P19~25

 

2.登場人物 

ジョージ・ハードリー、リディア・ハードリー

 

3.人物の関係 

ジョージとリディアは夫妻

 

4.内容 

リディア・ハードリーとジョージ・ハードリーは二人の子どもたちと一軒家で暮らしている。しかし、そんな生活のなかで異常が発生した。妻のリディアによると、子供部屋の様子が以前と異なるらしい。リディアの言葉を受けて、二人は子供部屋へと入る。すると、中にはアフリカの草原が広がっていた。しかし、異常はこれに留まらない。二人が部屋に居続けると、コンドルの鳴き声が聴こえ始め、ついにはライオンが二人を牙にかけんと襲い掛かってくる。その迫力にリディアは萎縮するも、ジョージはそれらがただの作り物であり、気に掛けるものではないとリディアを説得する。

 

5.機能 

起承転結で言えば、この部分は起にあたると言えるように思えます。以下ではこの部分でどのような情報が提示されており、それが作中でどのような機能を果たしているかについての分析を進めていきます。

第一に、P19に「子供部屋の様子が前と違うのよ」と記載されていますが、この記述から、子供部屋に何らかの変化が生じていることが分かります。そして、直前の部分でリディアが取り乱していたことから、事態が大きいことが伺えます。以上のことから、これらの部分は以降の展開のためのフックとして機能していると言えるのではないでしょうか    

第二に、P20に「「ハッピーライフ・ホーム」の廊下を歩いて行った」という記述がありますが、この記述は夫婦たちの一軒家が「ハッピーライフ・ホーム」という名称であるという情報を提示しています。更に、以後の記述ではこの家がどのようなものであるかが具体的に記述されています。以上のことから、これらの部分は作品の背景・設定を補強するに寄与しているように思われます。

第三に、P20では「暑い真昼のジャングルのなかの空き地みたいに、がらんとしている」と部屋の中の様子が記述されています。更に、以降の部分でも部屋の様子についての記述が続いています。以上の点から、これらの部分は本作品の起の部分の「子供部屋の異常」を補強していると言えるように思われます。そして、それは細部にいたるまでの部屋の様子の描写・作り物の動物たちの描写が丁寧になされていることで達成されていると言えるのではないでしょうか。

第四に、P24では「子供部屋が二人の全生活になっているらしい」と記述されています。また、その先では「そのためにこの家を買ったんじゃなかったかね。仕事を何一つしなくてすむように」という記述も認められます。以上のことから、これらの部分では「ハッピーライフ・ホームがどのようなものであるかについての情報が提示されています。それによると、「ハッピーライフ・ホーム」には人間の仕事を肩代わりする機能があるようです。そして、これらの部分では「ハッピーライフ・ホーム」は家族の仕事を肩代わりしているが、そのために家族のあいだに何らかの問題が発生しているかもしれないことが示唆されており、このように、異常の原因を示唆しつつも、それを明示しないことで読者の興味を引き留めるためのフックとして機能していると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

1.範囲 

P26~36

 

2.人物 

ジョージ・ハードリー、リディア・ハードリー、ウェンディ・ハードリー、ピーター・ハードリー

 

3.人物の関係

ジョージとリディアは夫妻。ウェンディとピーターは二人の子ども。ウェンディは妹。ピーターは兄。

 

4.内容

その後、夫妻だけで夕食を食べる。ジョージはリディアに心配することはないと言ったものの、子供部屋のことが気がかりで確認へ行く。しかし、子供部屋の様子は変わらないままである。そのようななか、二人の子ども、ウェンディとピーターが家に帰ってくる。夫妻は子供部屋のことを二人に問い詰めるが、二人は何も知らないかのように応答する。そして、ピーターがウェンディに部屋の様子を見に行くように伝える。その言葉に従い、ウェンディは子供部屋へ向かう。夫妻も子供部屋に急いで向かう。しかし、目に飛び込んできたものはサバンナとは縁遠いもの、緑豊かな森の景色であった。夫妻は二人が何らかの細工をしたのではないかという疑いを抱くようになる。

 

5.機能 

起承転結で言えば、この部分は承にあたるように思われます。以下ではこの部分でどのような情報が提示されており、それが作中でどのような機能を果たしているかについての分析を進めていきます。

まず、P27には「去年ならば……」という記述があり、去年までの子供部屋の様子がどのようなものであったかが記述されています。この部分では去年までの子供部屋についての情報が提示されていますが、このように、去年までの子供部屋の様子という比較の対象を提示することで現在の部屋が如何に異様であるかを際立たせることに寄与しているように思われます。

次に、P33に「二人ともわがままいっぱいに育ってしまった。」という記述がなされています。この部分では二人の子どもが我儘であること、それが親の育て方の結果であるという情報が提示されています。このことから、この部分は作中の背景・設定を補強するに寄与しているように思われます。

 

 

 

1.範囲

P35~47

 

2.人物

ジョージ・ハードリー、リディア・ハードリー、ウェンディ・ハードリー、ピーター・ハードリー、ディヴィッド・マクリーン

 

3.人物の関係

ジョージとリディアは夫妻。ウェンディとピーターは二人の子ども。ウェンディは妹。ピーターは兄。

 

4.内容 

夫妻は子供部屋の様子を異常だと考え、心理学の先生を呼び、異常についての分析を依頼する。心理学者のディヴィッドは部屋を見ると、部屋が非常に良くない状態にあると判断する。ディヴィッドは、子供たちの精神は抑圧された状態にあり、今や、実際の親よりも子供部屋のほうが子供にとっての親になっていると指摘する。そして、そのような事態は人間の仕事を肩代わりする家、「ハッピーライフ・ホーム」にもたらされたものであることが明らかとなる。二人は事態を重く見て、子供部屋のスイッチを落とす。そして、子どもたちにこの家を使うことを止め、「本当の生活」を始めるのだと告げる。しかし、二人の子どもたちはそれを受け入れずにもう一回部屋を使わせてほしいと懇願する。その態度を受けて、ジョージは一分だけ部屋を使うことを許可する。子どもたちは子供部屋に入っていくが、しばらくすると、子どもたちの悲鳴が聞こえる。夫妻は慌てて、部屋に駆け込むが、そこにはライオンの姿があった。そして、ドアが閉まる音が聞こえ、二人は外に出ることも出来ずに悲鳴を上げる。その後、ディヴィッドが部屋に入ると、子どもたちがピクニックの弁当を食べる姿があり、両親の姿はそこにはなかった……

 

5.機能 

起承転結で言えば、この部分は転と結にあたるように思われます。以下ではこの部分でどのような情報が提示されており、それが作中でどのような機能を果たしているかについての分析を進めていきます。

まず、P38では、ディヴィッドが「この部屋は非常に良くない」という発言をしています。これらの部分では部屋の異常が確かなものであるという情報が提示されます。

次に、P39では、「子どもたちの感情生活のなかで、この部屋や、この家全体をきみや奥さんの代用品にしてしまった」という記述が認められます。この部分では「ハッピーライフ・ホーム」が人間の仕事を肩代わりすると同時に人間の役割(父・母)も肩代わりしていたという情報が提示されます。以上のことから、この部分は①のところで仄めかされていたことを補強することに寄与しているように思われます。

次に、P45には夫妻がライオンに襲われるという描写が認められますが、この部分は本作品の転にあたる部分であるように思えます。ここでは、家自体が人間の手を離れて、人間に牙を剥くという描写がなされており、それまでの情報の前提(子供たちが裏で細工をしているかもしれないなど)が覆されているという点で転にあたると言えるのではないでしょうか?

最後に、P46では子供たちの食事の描写がなされていますが、この部分が本作品の結にあたる部分であるように思えます。直前では夫妻がライオンに襲われる・人間が家に牙を剥かれるという場面が描かれており、一転して、子供たちだけの食事という風景が描かれることで夫妻の不在が一層に際立ち、ある種の不気味さをも醸し出しているように思われました。その意味で、この部分は本作品のそれまでの描写に不気味さを付与するに寄与していると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

2 後書き

 

端的に言うと、かなり疲れる作業でした。第一回と銘打ちましたが、第二回・三回と続くかは不明です(多分、諸々の事情で第二回は書くと思いますが……)

内容については、このように細部にいたるまでを注視することで色々と分かったことがあったように思えます。例えば、②の以前の子供部屋との比較で異常さが際立っているなどはそれまでに意識していなかったことですので、その点については収穫があったと思います。