「幸福のリレー」から「王国」へ 『神聖にして侵すべからず』を読む。

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1.はじめに

 

しろくまベルスターズ♪』は、株式会社ウィルのブランド・PULLTOPより、2009年12月11日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。[i]

 

本作品では、「しろくま町」を舞台に、クリスマスイブにプレゼントを配るため、サンタとトナカイたちが奮闘する姿が描かれている。詳細なあらすじについてはこちらを参照いただきたい。

 

さて、『しろくまベルスターズ♪』においては、幸福についてのモデルが描かれている。それはどのようなものか。まず、サンタ・トナカイたちはプレゼントを贈る。しかし、そこに、プレゼントに対しての返礼はなく、そのため、互酬性の論理が働いていないと言えるだろう。では、プレゼントが渡されて、そこで終わりなのだろうか?そうではない。プレゼントを贈られたものは、そのことで幸福になる。しかし、幸福のきっかけをくれたものへの返礼の機会は残されていない。満たされたものがそのままに残るのだ。そのため、彼らには幸福が溢れてくる。だからこそ、それを別の人々に分けてあげるのである。そのようにして、幸福は繋がっていく。以上が、『しろくまベルスターズ♪』の幸福のモデルであり、ここでは、それを「幸福のリレー」と呼称する。

 

また、「幸福のリレー」については、当ブログのこちらの記事にも記載されているため、そちらを参照いただきたい。

 

しかし、ここで、一つの疑問がある。本作品では「幸福のリレー」というモデルが提示されたが、そこに読み手が介在するところは残されているのだろうか?

 

この疑問は、個人的な経験に裏打ちされたものである。本作品を読み終えて、私は感慨に包まれた。彼らのひたむきな姿、幸福な世界にやられてしまったのだ。そして、「しろくま町」の人々が背中を押されたように、私も背中を押されたからこそ、ここから、何かを始めていこうという気持ちにさせられた。

 

しかし、考えてみると、幸福のリレーに読み手(私)が介在するところは残されていないように思われる。何故ならば、贈り物を通して、「しろくま町」の人々は背中を押されたが、私は具体的な物を受け取っていないのである。そのため、作中の論理に従うならば、私にはそれを始めるためのバトンが渡されていないと言える。何かを始められると思っていたものの、その実、手のなかは空っぽだったのである。

 

本当に、幸福のリレーを始めるための糸口はないのか?ここで、話は『神聖にして侵すべからず』に移る。

 

神聖にして侵すべからず』は株式会社ウィルプラスのブランド・PULLTOPより2011年10月28日に発売されたアダルトゲームソフトである[ii]

 

神聖にして侵すべからず』では、朝妻ユタカ 氏 がディレクターを、丸谷秀人 氏 がシナリオの一部を手掛けている。ここで、強引ではあるが、『しろくまベルスターズ♪』を補助線に、『神聖にして侵すべからず』を読み解いていきたい。

 

何故ならば、『神聖にして侵すべからず』では、作中の論理(共同体)に読み手がどのように参与していくかの糸口が示されているからである。

 

以下では、第一に、「王国」とは何かを確認する。第二に、「王国」とはどのように広がるのかを確認する。第三に、「王国」が広がることに意義があるのかを確認する。最後に、実践としての「王国」とは何かを確認し、これを結びとしたい。

 

 

2.「王国」とは何か

 

まず、「王国」とは何かの確認を進めていく。「王国」の正式な名称は、ファルケンスレーベン王国である。曰く、「夢に現れた猫のお告げで戦に大功を立てたご先祖が、カール大帝にひきたてられて、霊験あらたかな猫と苗字の鷹を紋章にしたのが始まり[iii]」とされている。そして、「瑠波のひいひいお爺ちゃんが欧州から猫庭の地に移り住んできてから瑠波で五代目。[iv]」になる。また、猫庭では、「王国」は名物とされており、臣民の数は少ないものの、猫庭の市民たちに親しまれている。しかし、「王国」という名前を冠しているものの、正式な国家として認められているわけではない。このことについては、あるエピソードが象徴しているので、そちらを参照したい。

 

瑠波ルートにおいて、瑠波は、隼人を「王国」に縛り付けることをよしとせず、そのために、王国を解体することを決意する。そして、「王国」を解体するためには正式な文書が必要であり、それにサインをし、役所に提出すれば、「王国」についての諸権利は譲渡されるはずだったのだが、実際は、その手続きは上手くはいかなかった。何故ならば、そもそも、「王国」は正式な国家として認められているわけではないため、正式な手続きを踏み、それを解体するということはかなわないのである。このことから、「王国」は正規の制度のもとに保障されているのではなく、隼人、瑠波、芳乃 の臣民、ひいては、猫庭の市民たちの認識のもとに支えられていると言える。「王国」とは人々がそこにあると考えるからこそ、成り立つものであり、言うなれば、盛大な「ごっこ遊び」なのである。

 

 

3.「王国」とはどのように広がるのか

 

ここでは、「王国」とはどのように広がるかの確認を進めていく。『しろくまベルスターズ♪』で言うなれば、「幸福のリレー」がどのように成り立つかの確認であると言えるだろう。

 

さて、先に確認したように、「王国」とは正規の制度のもとに認められたものではない。そのため、「王国」が広がるとしても、その方法も正規の制度のもとでは達成されない。では、どのようにして、それは達成されるのだろうか?

 

その糸口は、「王国」とは、盛大な「ごっこ遊び」のもとに支えられている というところにある。

 

ここまでに確認してきたように、「王国」は正規の制度のもとには支えられていない。にもかかわらず、「王国」は存続している。何故か? それは、人々が「王国」はそこにあると考えていることによるものである。このことから、「王国」とはそれを支えるための具体的なもの(制度など)を持たないからこそ、人々の心で支えられている と言える。

 

ここには、具体的なかたちを持たないからこそ、遠くに広がりうる という逆説が確認される。何故ならば、「王国」を媒介するものは、複雑な手続きなどではなく、それがあると信じる心であるからだ。言うなれば、心があれば、それはどこまでも届くのかもしれない。

 

かくして、「王国」とはどのように広がるのか についての解答は確認された。それは人々の心(信仰)を媒介に広がるのである。このように、「王国」は具体的なかたちを持たないからこそ、越境性を持ちうるという逆説が確認される。後述するが、このことは、読み手(私)がそれにどのように参与するかに関わってくる。

 

4.「王国」が広がることに意義はあるのか

 

先の章では、「王国」はどのように広がるのか の確認を終えた。では、そもそも、「王国」が広がることに意義はあるのだろうか?第一章で確認したように、「王国」とは盛大な「ごっこ遊び」のもとに支えられたものである。そのようなものが広がることに意義はあるのか。以下では、そのことの確認を進めていく。

 

さて、「王国」が広がることに意義はあるのかを確認するにあたって、いくつかのエピソードを確認したい。これらのエピソードはそのことを確認するための一助となるだろう。

 

まず、辻賀崎弘実は晴華瑠波の親友である。そして、幼少期、彼女はいじめにあっていた。が、彼女はいじめに屈することをよしとせず、登校を続けていた。そして、ある日のこと。弘実がいじめられているなか、瑠波が助けに入る。そして、瑠波は彼女の家庭にも問題があることを知り、「王国」にくることを提案する。かくして、弘実は「王国」の国民として迎え入れられることになった。そして、現在の彼女は、当時、瑠波が手を差し伸べてくれたことで、救われた と述べている。

 

次に、風峰涼香は学生会長だ。自由奔放な性格をしており、度々、問題を起こそうとするためか、それを煙たがる人もいる。ある日のこと、瑠波は、涼香の父親の工場の経営が立ち行かなくなっていることを知る。瑠波はそのことを看過できず、援助を申し出る。しかし、会長はそれを拒む。曰く、援助を受け取るものにとって、それが見返りを必要としないということは重いからだ。

 

後日、瑠波と隼人は「王国」を解体することを告げるため、臨時の集会を開くことを決める。そして、それを開催するにあたって、涼香の父親にいくつかのオブジェクトの作成を依頼する。直接的に援助をすることは不可能であっても、依頼というかたちでならば、相手も受け入れてくれるかもしれないからだ。涼香の父親もそれを快諾する。

 

 そして、臨時の集会の当日、製作されたオブジェクトが人々の目に留まる。人々はオブジェクトの美しさに目を奪われ、それを製作したものが誰であるかを尋ねる。無論、それを製作したのは涼香の父親だ。そして、人々は涼香たちがどのような境遇にあるのかを知り、彼女たちを援助することを決める。かくして、涼香たちの問題は解決されたのだった。

 

弘実のエピソードは、「王国」が広がることに意義はあるのか という問題に対して、示唆的だ。あくまで、「王国」とは盛大な「ごっこ遊び」のもとに支えられたものである。そこは変わらない。しかし、「ごっこ遊び」であったとしても、それが誰かを救うということはありえる。「王国」があることによって、誰かが救われるのであれば、それは「王国」があること、広がることの意義となりうるのではないだろうか?

 

そして、涼香のエピソードは、「王国」が広がることによって、どのような意義があるかに具体的な輪郭を与えている。

 

個人(瑠波)が全ての人を救うことは不可能だ。何故ならば、そこでの救いとは、一方の負担をもう一方に移し替えただけであるからだ。そのため、誰かを救うたび、当人の負担は増え続ける。そして、あらゆる負担を背負うことは不可能なことである。だからこそ、個人(瑠波)が全ての人を救うことは不可能だ。

 

だが、共同体ならば、それが可能となるかもしれない。確かに、個人の力では全ての人を救うことはできないだろう。しかし、涼香のエピソードに認められるように、「王国」によって、涼香たちは救われている。個人があらゆる負担を背負うことはできない。けれども、その負担を分散することで、誰かを救うことはできるかもしれない。このことは、「王国」が広がることの意義に具体的な輪郭を与えている。

 

5.実践としての「王国」

 

ここまでに、「王国」とは何か。「王国」はどのように広がるのか。そもそも、「王国」が広がることに意義はあるのかを確認してきた。最後に、読み手(私)は「王国」にどのように参与するかを確認し、これを結びとしたい。

 

「王国」は具体的なかたちを持たない。だからこそ、そこには越境性が宿るという逆説がある。このことは、読み手(私)が「王国」にどのように参与するか に関わってくる。

「王国」を支えるものはそれがあると信じる心(信仰)であることは確認した。そして、「王国」があると信じることは読み手(私)にも可能なことである。ここにおいて、「幸福のリレー」と「王国」の相違点が浮き彫りとなる。「幸福のリレー」においては、読み手(私)は具体的なものを受け取っていないことから、そこに参与の機会は開かれていなかった。このことから、ここでの関係は非対称なものであると言える。一方、「王国」においては、信じる心(信仰)が鍵となる。そして、信じることは作中の人物の特権ではない。読み手もそれを信じることは可能なのである。このことから、ここでの関係は対称的なものであると言える。

 

以上のことから、「王国」はそれ自体で閉じているのではなく、外部に開かれている と言える。具体的なかたちを持たないからこそ、それは越境性を持ち、作品の枠組みを越えて、読み手(私)のまえに開かれているのだ。

 

決して、「王国」がもたらすものは幸福だけではないかもしれない。瑠波の父親が「王国」に殉じたように、それはある種の呪いとなるかもしれない。しかし、弘実が救われたように、「王国」が誰かを救うこともある。その意味で、「王国」は無力ではない。少なくとも、それは開かれており、実践としての「王国」が幸福への端緒となりうるかもしれないのだから。

 

 

 

後書き

 

ということで、今回は『神聖にして侵すべからず』の「王国」に焦点を当てて、書いてみました。いつもとは文体も変えてみましたが、不慣れなところがあるため、見苦しいところも多々あると思います。また、少々(かなり?)ポエミーなところもあり、見返すといくらかの気恥ずかしさを覚えるかもしれません。ただ、自分が、それだけの熱量を『神聖にして侵すべからず』から受け取ったということは確かです。今回の主題は『そして明日の世界より』をプレイしてから、考えていたことでもあります。現実に対し、フィクションはどのような意義を持つのか。そのような問題意識にもとづき、今回の内容を書き進めてきました。ですが、『しろくまベルスターズ♪』という補助線を強引に引いてしまったところ 現実に「王国」を再現するとして(荒唐無稽な話ですが、本論の議論を敷衍するとそのような話になりそうなので。また、本作品において、荒唐無稽なものが誰かを救うということが示されていたということもあり)それはどのような共同体となりうるのか(少なくとも、作中のそれとは異なるかたちになる)を示せていない 「王国」の問題点への言及が不足している などの問題点があり、このあたりは今後の課題としていきたいところです。

 

 

 

[i]しろくまベルスターズ♪』-Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA%E2%99%AA

[ii]神聖にして侵すべからず』-Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BE%B5%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%9A

[iii]神聖にして侵すべからず』第一話「世界で一番小さな国」

[iv]神聖にして侵すべからず』第一話「世界で一番小さな国」