『しろくまベルスターズ♪』感想

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1 前書き

ハッピー・ホリデーズ!ということで、『しろくまベルスターズ♪』を読み終えました。今回は『しろくまベルスターズ♪』についての所感を纏めていきます。また、以下の内容にはネタバレが含まれております。ご注意ください

 

2 あらすじ

 

クリスマスイブの夜、トナカイの中井冬馬は新人のサンタ、星名ななみとペアになり、プレゼントを配るために「しろくま町」を訪れる。途中、様々なトラブルに見舞われるも、プレゼントを配ることには成功する。が、彼のセルヴィが壊れてしまい、帰ることができなくなってしまう。その後、冬馬はしろくま支部に配属され、そこで三人のサンタ、星名ななみ、月守りりか、柊ノ木硯 たちと再会することになる。そして、町外れのツリーハウスで彼女たちとの共同生活を送ることに……

 

3 あらすじの補足

 

以上が大まかあらすじとなります。本作品への所感の確認に移るまえに先のあらすじの補足をしつつ、本作品の背景設定についての確認を進めていきます

 

まず、トナカイはサンタのソリを牽引するための乗り物、セルヴィを駆り、サンタがプレゼントを届けることを手伝うことを仕事としています。そして、サンタはルミナの力でプレゼントを届けることを仕事としています。では、セルヴィとはどのようなものか。端的に言うと、空を飛ぶためのバイクのようなもの と言えるでしょう。そして、ルミナとは、プレゼントを贈るにあたって、サンタたちが利用する力を指します。

 

サンタとトナカイは協力して、クリスマスイブの夜にプレゼントを配ります。ですが、その正体を人々に知られることは望ましくないとされています。何故ならば、誰がサンタであるかが明らかになってしまえば、プレゼントを直接的に要求されることが想定されます。そして、プレゼントを渡すことができなかったら、サンタであるということが疑われます。そうすると、サンタへの信用の問題に関わってきます。したがって、サンタの正体を知られることは望ましくないのです。

 

だからこそ、彼女たちには世間に対しての仮の姿が必要となります。ななみ、りりか、硯、冬馬 たちは玩具屋を共同経営しつつ、クリスマスイブの夜に備えて、プレゼントを配ることの練習を続けます。

 

4 所感

 

本作品では「他者の幸福を増進させること」が随所で描かれています。以下では、この「他者の幸福を増進させること」がどのように描かれているかの確認を進めていきます。

 

まず、「他者の幸福を増進させること」とは何か。そのことの確認を進めていきます。先のあらすじで確認しましたように、彼女たちはサンタです。そして、サンタの仕事はクリスマスにプレゼントを贈ることなのですが、実際のところ、サンタの仕事はそれに留まりません。

 

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ここでは「誰かの背中を押し、各々が幸せを生み出すことを助けること」がサンタの仕事であると説かれています。このように、サンタの仕事とはプレゼントを贈るだけではなく、それを行うことで「他者の幸福を増進させること」も射程に含まれていると言えるでしょう。

 

では、次に、「他者の幸福を増進させること」はどのように達成されるかの確認を進めていきます。先に確認しましたように、プレゼントを贈ることでそれは達成されると言えます。しかし、本作品ではそのままではそれが達成されることは難しいということが何度も描かれます。いずれの個別ルートにおいても、それぞれのサンタは個別の悩みを抱え、それに苦しみます。悩みの内容は違うものの、サンタたちは悩みに囚われるなか、自身の練習も上手くいかなくなり、不調に陥ります。そのようななか、それぞれのサンタは冬馬たちとの触れ合いを重ねるなか、問題を解消していきます。そして、問題が解消するとサンタの不調も解消されます。ここにおいて、重要なことは「幸福でないものが他者の幸福を増進することは叶わない。だからこそ、まず、自分が幸福になければならない」ということが描かれていることです。つまり、「他者の幸福を増進させること」は、最終的にはプレゼントが贈られることで達成されるものの、それが十分になされるには自身が幸福であることが要請されるのです。

 

次に、「他者の幸福を増進させること」がどのように描かれているかの確認を進めていきます。

 

まず、サンタ・トナカイの仕事は互酬性の論理に基づかないものとして描かれています。具体的にどのように描かれているかの確認に移るまえに、まず、互酬性とは何かの確認を進めていきます。

 

互酬性とは、

「人類学において、贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念。有形無形にかかわらず。それが受け取られたならば、その返礼が期待されるというもの」*1

とされています。つまり、それが物であるか・そうでないかにかかわらず、何らかの贈与がなされたならば、それに対して、何かを返すことが望まれるということを指しています。

 

では、サンタ・トナカイの仕事は互酬性の論理に基づかないとはどのようなことか?以下では、そのことの確認を進めていきます。

 

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まず、この場面では、サンタは自身・自身の組織のためにルミナ(力)を使うことができないとされています。例えば、その力を行使することで何らかの利益を得ることを目的に力を行使することは禁じられているのです。そして、互酬性とは「それが受け取られたならば、返礼が期待されるもの」ですが、サンタは返礼(利益)を目的に活動することはありません。そのため、そこには互酬性の論理が働いていないと言えます。

 

また、ここでは、サンタ(送り主)は人々(受け手)にとっては匿名であることも重要となってきます。本作品では、人々にサンタ・トナカイのことが周知されることは望ましいことではないという描写が随所でなされています。そのため、人々はサンタやトナカイがクリスマスにプレゼントを贈ってくれるということを知りません。そのため、ある意味、サンタ・トナカイは匿名であると言えます。そして、サンタから人々にプレゼントが贈られたとしても(贈与がなされたとしても)、人々にとって、サンタが何者かが分からないため、返礼を行うということができないのです。つまり、そもそもの関係性から、そこには互酬性の論理は働きえないと言えます。

 

では、それが互酬性の論理に基づかないことはどのようなことを意味するのか。ここで、ある場面を挙げます。

 

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ここでは、「幸福であるものは幸福でないものにその幸福を渡すこと。それが全員が幸福になるための道である」ということが説かれています。このことは、先の問題を理解するための一助となるように思えます。

つまり、サンタからのプレゼントを贈られたものは幸福になります。ですが、そこには互酬性の論理が働いていないため、返礼を行うことはできず、満たされたものはそのままにあります。ここで、「満たされている人は、満たされていない人にあふれちゃったものを渡す」という考えが出てきます。満たされたものはそれをそのままにしておくのではなく、それを次の誰かに手渡すのです。このように、バトンを渡すかのように、幸福は譲渡されていきます。このことは硯ルートのある場面で描かれており、非常に示唆的です。

 

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幼少期、硯はサンタ先生にプレゼントを贈ってもらい、それを大事にし続けてきたのですが、ここではそれを譲渡しています。ここでは、まさに幸せを贈られたものが別の誰かに幸せを手渡すということが確認されます。

 

纏めると、本作品では、「他者の幸福を増進させること」に始まり、互酬性の論理に基づかない「他者の幸福を増進させること」がそれぞれの幸福を増進することに繋がること。言うなれば、「幸福のリレー」というモデルが提示されています。「他者の幸福を増進させること」が二者関係に留まらず、その輪を広げていくこと。本作品では、そのことが徹底的に描かれているからこそ、二者関係の幸福ではなく、「幸福な世界」を描くことに成功していると言えるでしょう。

 

5 後書き

 

素晴らしい。その一言に尽きます。本作品の「幸福な世界」はある種の御伽話です(実際、サンタはおとぎ話の世界の住人という旨の記述も見られます)ですが、御伽話であるとしても、誰かの背中を押すことはできるのではないでしょうか(作中において、人々がサンタたちのプレゼントで背中を押されたように)そのため、「幸福な世界」が御伽話であるとしても、これほどに強固に打ち出されたものには意味があるように思われました。自分にとって、本作品は忘れがたいものとなったので、折に触れて、これからも読み返すことになるでしょう。

 

 

*1 「互酬性とは」コトバンク

  https://kotobank.jp/word/%E4%BA%92%E9%85%AC%E6%80%A7-170925