『これは学園ラブコメです。』感想

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1 前書き

 

お久しぶりです。ということで、『これは学園ラブコメです。』を読み終えました。今回は本作品への所感を纏めていきます。また、以下の内容にはネタバレが含まれております。ご注意ください。

 

2 あらすじ

 

高城圭は平凡な日常を送っていた。しかし、ある時、不慮の事故に見舞われてしまう。目を覚ますと、圭のまえには白い空間が広がっており、そこには言及塔まどかと名乗る女性がいた。曰く、圭が不慮の事故に見舞われたことで学園ラブコメとしての強度が落ちてしまい、このままでは『これは学園ラブコメです。』の虚構を司る力が崩壊し、「なんでもあり」が侵入してしまう。それを防ぐためには学園ラブコメとしてのシナリオを遂行しなければならない。かくして、圭とまどかは協力関係をとりむすぶ……

 

以上が大まかなあらすじになります。が、これでは説明が不足しがちなため、本作品の背景設定の確認を進めていきます。

 

まず、「学園ラブコメとしての強度が落ちてしまう」とはどのようなことか。これを理解するために本作品の文章を引用したい。

 

「そうだ。性質が互いに結合する力には秩序がある。秩序のもとで、キャラクターが生まれ、さらにキャラクターが筋道だった出来事を起こすことでフィクションができる。決して、なんでもありではないんだ。フィクションをつくる力は秩序だっている」

 

まどかによると、キャラクターはいくつかの性質のもとに成り立っている。たとえば、本作品のキャラクターの一人、河沢素子はピンク髪、ミディアムボブ、元気、世話焼き、料理下手、幼馴染、女性、高校生、可愛い という性質から構成されている。そして、これらの性質が結合する力には秩序がある。本作品では、「ツンデレツインテールと金髪とお嬢様は互いに結びつきやすい」とされている。このように、秩序のもとにキャラクターが構成され、そのキャラクターたちが関係することによって、作品が形作られる。

 

しかし、圭が不慮の事故に見舞われたことによって、『これは学園ラブコメです。』の学園ラブコメとしての強度が落ちてしまった。つまり、学園ラブコメというジャンルもいくつかの性質のもとに成り立っており、不慮の事故という出来事の性質はそれらの要素と噛み合わないと言える。そのため、学園ラブコメとしての強度が落ちてしまったと言えるだろう。

 

次に「なんでもあり」とは何かを確認したい。まどかによれば、

 

「なんでもあり」とは「反秩序的に性質が結合した結果生じるキャラクターと、その集合体であるフィクション」

 

とされている。例として、「髪が赤であり青であるお嬢様」が挙げられている。先述したように、通常のフィクションのキャラクターは何らかの秩序のもとにいくつかの性質が結合することで形作られるが、「なんでもあり」の場合はそれらの性質が無秩序に結合するとされている。だからこそ、そこには「赤であり青」といったように矛盾が生じてしまう。

 

そして、ジャンルとしての強度が落ちてしまうと、他ジャンルの侵入を許してしまうことに繋がり、それが続くと物語の整合性がとれなくなり、「なんでもあり」になってしまう。かくして、圭とまどかは協力関係を結ぶこととなった。

 

以上が背景設定についての確認となります。次に、本作品についての所感の確認を進めていきます。

 

3 所感

 

本作品では、キャラクターの自由意志についての問題が巧みに描かれていました。以下では、そのことの確認を進めていきます。

 

圭とまどかは学園ラブコメとしてのシナリオを遂行するために奔走する。しかし、そのなかで他のジャンルの侵入を許してしまう。それはファンタジーやSFなどのジャンルであり、それらが侵入すると、『これは学園ラブコメです。』のキャラクターたちはそれらのジャンルの秩序にのまれてしまう。そして、圭はある事実に気付いてしまう。ジャンルという秩序がキャラクターを形作るということは、キャラクターがどのような人物であるかは作品のジャンルに従属しているということだ。だからこそ、ファンタジーやSFなどが侵入してくると、キャラクターたちはそのジャンルの文脈に飲み込まれてしまい、その在り方を変えてしまう。

 

そして、このようにキャラクターが秩序に従属しているということはキャラクターは物語の奴隷であり、そこに自由意志は介在しないかもしれない という可能性を浮き彫りにする。

 

その可能性に絶望し、圭たちは「なんでもあり」の侵入を許してしまう。そして、『これは学園ラブコメです。』の秩序は崩壊し始める。しかし、圭とまどかは必死の努力で「なんでもあり」が侵入してくることを食い止める。

 

ここで重要なことは作品の秩序が崩壊してしまったにもかかわらず、圭たち、キャラクターは残存しているということだ。

 

先に確認したように、キャラクターが秩序に従属しているということは事実ではあるのだろう(この作品においては)しかし、それが全てではない。秩序がキャラクターを規定するように、キャラクターが秩序を形作ることもある。だからこそ、「なんでもあり」が侵入してきたなか、圭たちは残存し、新たに秩序を形作ることによって、物語を終わりに導くことができたのだろう。その意味で、キャラクターと秩序の関係性は一方向性のものではなく、双方向性のものであると言えるだろう。

 

しかし、ここで留意しておきたいことは、上位の視点に立つと、「なんでもあり」という無秩序の侵入という一連のストーリもある種の秩序のもとに成り立っているということだ。確かに、「なんでもあり」侵入後の『これは学園ラブコメです。』では荒唐無稽な話が展開され始めるが(それまでにも荒唐無稽な展開は続いていたが)、あくまでも、それは「無秩序の侵入に抵抗し、秩序を作り出す」というラインのもとにストーリが展開されている。そのことから、そこには秩序があると言える。

 

そして、そこには秩序があるということは、圭たちは秩序から解放されたかのように見えて、その実は秩序に従属しているということだ。

 

その意味で、本作品の「キャラクターに自由意志がある」という展開はある種の詐術であると言えるかもしれない。

 

しかし、そうであったとしても、自分は「キャラクターに自由意志がある」かのように思わされた。そこにこの作品の凄みがあるのではないだろうか?

 

4 後書き

 

ということで、『これは学園ラブコメです。』の感想でした。個人的に、楽しむことができました。過去の作品も追ってみたいなぁと思いました。