何故、諌見隼人は騎士で在り続けたのか 『神聖にして侵すべからず』を読む


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ファルケンスレーベン王国。第63代。ルファ・ファルケンスレーベン」

「鷹騎士団団長諌見隼人は、ファルケンスレーベン王国第63代ルファ・ファルケンスレーベンの正当なる王位を認め」

「その王冠に生涯忠誠を捧げる」『神聖にして侵すべからず』エピローグ『女王陛下の王国』

 

晴華瑠波は王国の女王、諌見隼人の瑠波の騎士だ。幼少期のある出来事をきっかけに、彼らの関係は始まった。瑠波の母親は早逝であった。母を亡くし、瑠波は悲しみは暮れる。隼人はそのような彼女を見ることに耐えられず、瑠波を励まそうとするも、彼女が変わることはなかった。彼女は母の姿を間近に見続けてきた。だからこそ、王国が衰退しつつあることも、母がはりぼての女王であることにも気が付いていた。王国を無邪気に夢見ることはできなかったのだ。それでも、隼人は王国はここにあると主張する。確かに、王国にはかつての栄光はないかもしれない。しかし、(隼人の母)、隼人、瑠波の三人がいる。隼人が騎士で、芳乃(隼人の母親)が宰相、瑠波が女王。ちっぽけかもしれないが、ここに王国はあるのだと。かくして、瑠波と隼人は女王と騎士になる。

 

さて、瑠波ルートにおいて、瑠波と隼人は恋仲になる。そして、ついにはファルケンスレーベン王国の王位を正統に継承することを宣言する。ここで、瑠波の母親と父親のことを思いだしたい。生前、瑠波の母親は女王で、瑠波の父親は殿下であった。このことを踏まえると、何故、隼人は殿下とならずに騎士で在り続けたのかという疑問が生じてくる。勿論、恋仲になったとして、かつての父と母のように女王・殿下の関係にならなければならないということはない。しかし、隼人が騎士で在り続けたことには明確な背景があるように思われる。以下では、そのことの確認を進めていく。

 

「何故、隼人は殿下とならずに騎士で在り続けたのか」このことの確認を進めるにあたって、諌見隼人がどのような人物であるかを確認したい。何故ならば、彼の選択の意図を理解するためには彼がどのような人間であるかを理解することが必要だからだ。

 

諌見隼人は王国の騎士だ。しかし、騎士と言っても、実際に王国を守るための役についているわけではなく、王国の雑事(掃除、洗濯、料理など)を担当している。彼はそつがなく、諸々の事柄を着実にこなしていく。そのような彼であるが、苦手とするものがある。それは自身の将来のことを考えることだ。以下の場面を確認していただきたい。

 

「言葉に詰まった。将来のことなんて考えるのは、僕の最も苦手とするところだったからだ。」『神聖にして侵すべからず』第六話『女王陛下は雨模様』

 

ここに認められるように、隼人は自身の将来を考えることを苦手としている。では、彼は自身の将来という問題に対して、どのような対応をとっているのか。ここにこそ、諌見隼人の弱さが認められる。瑠波ルートにおいて、瑠波が隼人に頼りすぎていると考え、独り立ちしようと奮起するという場面がある。当初は隼人も瑠波の独り立ちに協力的であったものの、徐々に不安を覚えていく。何故、不安を覚えるのか。それは瑠波が一人でもやっていけるようになることによって、彼の傍を離れるかもしれないからだ。ここには、瑠波が隼人に依存しているように見えて、隼人こそが瑠波に依存しているという構図が認められる。諌見隼人は晴華瑠波に依存している。何故ならば、彼は自身の将来を考えることを苦手としているからだ。自分が何になるか・どのように変わっていくかを決断することを苦手とするからこそ、その決断を相手に仮託する。瑠波の傍に居続けることができれば、彼女の騎士で在り続けることができるからだ。

 

このように、諌見隼人は多くの事柄にそつがないように見えて、自身の将来を選択することを苦手とし、その決断を他者(瑠波)に仮託している。依存しているのは瑠波ではなく、隼人だったのだ。

 

以上の考えを踏まえると、隼人が王国の騎士で在り続けたことの輪郭が見えてくる。

 

「人は誰しも人生の王様である」と言う。人生の王様であるということは、各々が自身の人生に対しての責任を負っていることを意味しているように思える。誰しもが自身に対しての統治者であるのだ。しかし、諌見隼人は自身がどのようにあるかを決断することを苦手とする。つまり、彼は自身を統治することができていない。ゆえに、統治者(殿下・王)ではなく、従者(騎士)で在り続けたのではないだろうか。

 

後書き

 

ということで『神聖にして侵すべからず』の諌見隼人への考えをざっくりと纏めてみました。改めて見てみると、選ばないことも一つの選択であるという問題があって、隼人が統治者ではないと一概には言えないかもしれないなぁ と思いました。このあたりは今後も考えていきたいですね。もしかしたら、また『神聖にして侵すべからず』で記事を書くかもしれません。

 

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