『僕が天使になった理由』感想

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1 はじめに

 

僕が天使になった理由 LOVE SONG OF THE ENGELS 』(以下、『僕が天使になった理由』)は、OVERDRIVEより、2013年2月28日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。

 

本作品では、伊乃郷市を舞台に物語が展開されていくことになる。ある夜、見晴ヶ丘学園の二年生の桐ノ小島巴は一人の天使に出会う。天使の名前はアイネ。彼女はギターによって、人々の心の欠片を返すことを生業としていた。しかし、ふとした出来事から、ギターの弦が切れてしまった。心の欠片は、ギターの演奏だけではなく、弓で対象を射ることによっても返却することができる。だが、アイネは弓を射ることが大の苦手で、対象を正確に射ることはとても出来なかった。このままでは、心の欠片を返却することができず、天使としての生業を果たすことができない。そこで、巴に白羽の矢が立った。彼は弓を射ることを趣味としており、その技術も卓越したものであった。しかし、彼は過去の出来事から、恋愛というものを忌避しており、恋のキューピットの片棒を担ぐことを善しとしなかった。それでも、アイネは心を欠いてしまった人々を放っておくことができず、彼を必死に説得する。やがて、巴はアイネの必死の説得と人々の姿に心を動かされ、天使の生業に渋々と関わっていくことになる……

 

以上の本作品のあらすじである。まず、「心の欠片」とは何かについての確認から始めたい。

 

精神的なショックを受けるような出来事に出くわしたとき、心が傷つくと言われることがある。しかし、本作品では、それは比喩ではない。精神的なショックを受けたとき、人々は心を欠いてしまう。そのときに発生するものが心の欠片だ。そして、心を欠いた人々は、それに起因する出来事に対しての気力を失ってしまう。

 

一つの例を挙げよう。ある女生徒はある男子生徒に想いを寄せていた。だが、想いを告げることができずにいた。そのようなとき、勇気をふりしぼり、その人に告白しようとするも、その人が別の人に告白しようとしているところに出くわしてしまう。そのことで、彼女は精神的なショックを受けてしまい、心を欠いてしまう。そして、彼女は彼のことを諦めたかのように、別の事柄に没頭し始める。

 

これは本作品のエピソードの一つであるが、このことからも、心を欠いてしまったものは欲求が正常に働かないという状態に陥っていることが伺える。当人にはどうすることも出来ないのだ。ここで、天使の出番だ。天使たちは、それぞれの楽器で音楽を奏で、その音楽で人々の心を癒すことによって、心の欠片を返却する。そして、心の欠片が返却されたとき、人々の欲求は正常に機能し始める。

 

さて、ここまでに、本作品のあらすじと「心の欠片」についての確認を進めてきた。本稿では、看護倫理を補助線にして、『僕が天使になった理由』を読み解いていきたい。何故、看護倫理なのか。それは看護倫理を経由することによって、本作品の展開が明晰になると考えるからだ。

 

はじめに、「自律性の要件」という観点から、天使/心を欠いてしまった人々の関係を読み解く。次に、「仁恵の原則」という観点から、天使/心を欠いてしまった人々の関係を読み解き、そこでの義務の対立を取り上げる。最後に、「自律性の要件」と「仁恵の原則」の対立を調停するために、『僕が天使になった理由』ではどのような解答が示されているかを取り上げ、これを結びとしたい。

 

 

2 「自律性の要件」

 

まず、自律性とは何かを確認したい。自律性の要件を何とするかは意見が分かれるだろうが、ここではドローレス・ドゥーリ―、ジョーン・マッカーシーの『看護倫理』を参照したい。本書によれば、自律性の要件とは、

 

1 自由に自主的に行った決定であることー本人の考え、感情、欲求に基づいて行われたものであること。

2 意図的に行った決定であることー本人が意図したものであること。その決定は、誤って(あるいは知らないで)行ったものではないこと。

3 情報を得た上で行った決定であることー状況を理解し、その結果が分かっており、別の選択肢があることを知った上で行ったものであること。

4 熟慮した結果、行った選択であることー想定できる結果をよく考えた上で行ったものであること。[i]

 

とされている。ここでは、1の要件に着目したい。先に確認したように、心を欠いてしまったものは起因する出来事についての欲求を抱くことができなくなってしまう。これは「自律性の要件」の1を満たしていない。「自律性の要件」の1とは「自由に自主的に行った決定であることー本人の考え、感情、欲求に基づいて行われたものであること」だが、心を欠いてしまったものは欲求が正常に働かないという状態に陥っている。そのため、それは欲求に基づいて行われたものであるとは言い難いのではないだろうか。

以上のことから、天使の生業とは損なわれた自律性を回復させることであると言える。だが、そのようなことを行うことは本当に良いことなのだろうか。次節では、自律性を回復させること(天使の生業)に付随する問題を取り上げる。

 

3 「仁恵の原則」

 

まず、仁恵の原則とは何かを確認したい。『看護倫理』によれば、仁恵の原則とは

 

患者に害を与えることを避け、患者の健康と幸福を促進するように努めなければならない[ii]

 

こととされている。ここでの「患者」を「心を欠いてしまったものたち」を読み替えると分かりやすいだろう。天使たちは心の欠片を返すことによって、その人々の幸福を促進しようとしており、それを生業としている。さて、ここで、「自律性の要件」を思い出したい。心を欠いてしまったものたちは「自律性の要件」の1を満たしておらず、天使たちはそれを回復させようとする。だが、「自律性の要件」を回復させようとしたために、「仁恵の原則」に抵触してしまうというケースが考えられる。『僕が天使になった理由』の第三章を例に、そのことを確認したい。

 

僕が天使になった理由』第三章では、堂崎文子、西町美里、小ヶ倉章吾の三角関係が描かれていく。まず、文子はウミコフというハンドルネームを使い、テキストチャットサイトにて章吾(HN:koga156)と親交を深めていた。あるとき、章吾は実際に会ってみたいと申し出る。だが、文子は自身の容姿にコンプレックスを抱いており、返事を保留していた。そのようななか、文子の親友の美里が章吾に想いを寄せており、彼を紹介してほしいとお願いする。そして、文子は彼女の頼みを聞き入れ、二人を引き合わせる。しかし、文子も章吾(koga156)に想いを寄せており、複雑な心境に陥っていた。文子は迷いを晴らすため、アイネの恋愛相談室に悩みを持ち寄る。アイネは文子の悩みを真摯に聞き、彼女の背中を押す。アイネの後押しに勇気付けられ、彼女は章吾(koga156)と会うことを決意する。そして、文子はウミコフとして、章吾と会うことになるの。だが、彼に会ったときに彼女が眼にしたものは、彼の残念そうな表情であった。そのことで、彼女の心は欠けてしまう。

 

以上が『僕が天使になった理由』三章のあらすじとなる。このあと、アイネは巴に欠片を返してやってほしいと頼み込むことになるが、巴は簡単には受け入れない。曰く、彼女に心の欠片を返してやったとしても、告白が上手くいくとは限らない。それどころか、失敗したときには大きな傷を負うことになるかもしれないと。ここでは「自律性の要件」の回復と「仁恵の原則」の遵守が対立していると言えよう。天使の生業からすると、彼女に欠片を返さなければならない。だが、欠片を返してしまうと、彼女は再度の傷を負うことになるかもしれず、その場合は「仁恵の原則(患者に害を与えることを避け、患者の健康と幸福を促進するように努めなければならない)」に抵触してしまう。ある種のジレンマだ。

 

このジレンマを解決するための明確な方法はないのか。『僕が天使になった理由』ではそのようなものは提示されていない。では、天使たちは諦める(あるいは思考停止する)ほかないのか?そうではない。次節では、『僕が天使になった理由』ではどのような解答が示されているかを確認したい。

 

 

4 天使の倫理

 

さて、先のジレンマを解消するためにはどうすればいいのか。『僕が天使になった理由』では明確な解答は提示されていない。だが、どのようにすべきかという最低限の指針は示されている。

 

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これは巴にとっての弓の師匠の言葉だ。ここにあるように、他者とのあいだには壁がある。私はあなたではないし、あなたも私ではない。だからこそ、他者の気持ちを完全に理解することは不可能だろう(そもそも、完全に理解可能ならば、そこには「あなた」「わたし」という区分も無意味かもしれない)

 

だが、他者の気持ちを完全に理解することは不可能だとしても、アイネはそれに寄り添おうとする。確かに、他者の気持ちを完全に理解することはできないかもしれない。だが、それの断片に触れることはできる。そして、天使の生業を果たすにあたって、他者の気持ちの断片を汲み取ろうと力を尽くすこと。そのうえで、どのようにすべきかを考えること。それこそが、天使たちにとっての最低限度の倫理と言えるのではないだろうか。

 

 

5 後書き

 

ということで、『僕が天使になった理由』についての感想(?)でした。素人が調べたことなので、至らぬ点もあるとは思いますが……また、本稿はやーみ様のツイートに触発されたことで書き始めたという経緯があります。やーみ様にはこの場を借りて御礼申し上げます。さて、『僕が天使になった理由』に話を戻しますと、とにかく、共通ルートが抜群に好ましかったですね。批評空間での高得点は共通ルートによるところが大きいです。と言えど、個別ルートが嫌いというわけでもなく、奈留子ルートはお気に入りです。このあたりの話は別の記事で書きたいなぁと思っております。

 

参考文献

 

[i] ドローレス・ドゥーリー、ジョーン・マッカーシー『看護倫理』P19

[ii] ドローレス・ドゥーリー、ジョーン・マッカーシー『看護倫理』P42