『リトルバスターズ! エクスタシー』二次創作と愛の痕跡(神北小毬ルート)

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「あなたの目が、もう少し、ほんのちょっとだけ見えるようになりますように」

 

視界に映るもの。個々人によって、その見え方はきっと異なるのだろう。それは、肉体の状態(視力など)に起因するものから、そうでないものも挙げられる。例えば、ある人にとっては、ただの桜でも、別の人にとっては、学生時代の思い出が詰まったものかもしれない。

 

だから、「目がよく見える」というよりは「目の見え方が違う」と言ったほうがいいだろう。

 

神北小毬は言う。子どもの頃、『フランダースの犬』を見たと。原作では、ネロはパトラッシュと一緒に天に召されていくが、彼女が見たものはそうではなかった。ネロもパトラッシュも死ぬことはなかった。誰もが死なない。そんなハッピーエンド。

 

物語としては破綻しているかもしれない。それでも、彼女はそんな物語が好きだという。何故なら、ハッピーエンドで終わったということは、誰かが幸福であったほしいと望んだから。きっと、その背景には誰かの愛があるから。

 

私たちの目の見え方は違う。だから、世界を切り取るにしても、その切り取り方は異なってくる。小毬は日常のなかに素敵なものを見出し、日々の風景を鮮やかなものに変えていく。

 

そう、彼女は詩人だ。詩を作るからではない。ありふれた意味のなかに、異なる文脈を見出すから。

 

では、彼女だけが詩人なのか? そうではない。

 

小毬が見た『フランダースの犬』。それはある種の二次創作だ。

 

作り手の想いは分からない。当人ではないから。見え方が違うから。それでも、小毬のことを信じるならば、そこには愛があった。彼らに幸せであってほしいという思いが。

 

ならば、愛は普遍的なものだ。『フランダースの犬』だけではない。さまざまな二次創作、その背後に愛の痕跡を見出せる。

 

この世界には見たくないものも溢れている。見えすぎるがゆえに見えてしまうもの。悪意や死。

 

たくさんの物語。それが愛の証左とは限らない。それでも、そこに善意があること。それを信じることぐらいは出来るかもしれない。