『allo,toi,toi』感想

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『allo,toi,toi』感想

 

 

 

1 前書き

 

今回は『My Humanity』に収録されている『allo,toi,toi』の感想を纏めていきます。また、以下の内容にはネタバレが含まれております。ご注意ください。

 

 

 

2 あらすじ

 

ダニエル・チャップマンは、メグ・オニールという少女を殺害した。その後、彼には100年の懲役が科された。現在、チャップマンはグリーンヒル刑務所に収容されている。刑務所において、性犯罪者はカーストの最底辺に位置する。そのため、チャップマンは他の囚人からの暴力を受けていた。なかでも、同房のエヴァンズは彼を日常的に虐げられていた。そのようななか、彼に転機が訪れる。それは、ある実験に協力することを条件に、独房を使うことが許可されるというものだった。チャップマンはその条件を受け入れ、実験に協力することになる。そして、その実験の内容とは、脳内に機器を埋め込み、ITPという制御言語を利用して、特殊な神経構造体を形成することで性的嗜好を矯正しようというものだった……

 

以上があらすじとなります。では、次に背景設定の確認に移ります。

 

 

 

3 背景設定について

 

まず、ITPとは何かを確認し、その後に特殊な神経構造体についての確認を進めていきます。

 

ITPとは、image transfer protocol の略称であり、脳内の機器を動かすための制御言語のことを指します。また、脳内の機器は擬似神経を構築することで他人の経験や感覚を伝達することを可能とします。そして、この技術の背景には、人間の経験や感覚は神経のパターンに還元することが可能であり、そのパターンを再現することが可能であるならば、経験や感覚を再現することも可能であるという事実が横たわっています。

 

では、チャップマンにはどのような処置が施されたのでしょうか? それは、特殊な神経構造体を脳内に形成することで、脳に新たな機能を獲得させるというものです。そして、その機能は「アニマ」と呼ばれています。「アニマ」は人間の「好きと嫌い」の錯誤を解きほぐすことを可能とします。この技術の背景には脳の機能のある性質が関わっています。それは、「好きと嫌い」には錯誤が伴うということです。作中では、このことが説明されるために以下の例が挙げられています。

 

我々はケーキを食べると、それが「甘いから好き」だと思う。だが、味覚が脳内でどのように扱われるかというと、好きを生じさせる脳の報酬システムは、質として食べ物に甘味を感じなくても、カロリーさえ高ければはたらく。つまり脳にとっては。快か不快かという情動は、甘いや苦いといった質の分析とは神経回路自体が分かれる。

 

つまり、言葉としては「甘いから好き」といったように、一纏めに理解されるが、実際の脳内ではそれらは整理されていないのです。そのため、〇〇だから好きは恣意的な結び付けであり、そこには錯誤が伴います。この実験の目的は、脳内に機器を埋め込み、ITPを利用し、特殊な神経構造体(アニマ)を形成することで小児性愛という錯誤を解きほぐすことが可能であるかという点にあります。

 

 

 

4 所感

 

先に、背景設定についての確認を行いましたが、ここでは本作品の主題がどのように展開されているかの分析を進めていきます。

 

本作品の大筋は、アニマを切っ掛けに、チャップマンの錯誤が解きほぐされていくことにあります。これについては先日の記事に纏めているため、そちらを参照ください。端的に言えば、本作品では起承転結の起の部分で背景設定の提示がなされ、承の部分でチャップマンの錯誤の頑なさが描かれます。次に、転の部分ではチャップマンの錯誤が解きほぐされていく様子が描かれます。また、承の部分でチャップマンの頑なさが描かれています。最後に、結の部分では「好きと嫌い」の錯誤はチャップマンに固有なものではなく、誰にでも起こりうることが提示されています。そして、「好きと嫌い」の錯誤こそが本作品の主題であるように思われます。以下では、このことを念頭にこの主題がどのように展開されていくかを詳細に追っていきます。

 

まず、冒頭部分では、ITPや「アニマ」についての情報が提示され、「好きと嫌い」の錯誤についての説明がなされます。この部分は背景設定を固めることに寄与していると言えるでしょう。次に、チャップマンの錯誤の頑なさが描かれます。この部分では、「好きと嫌い」の錯誤がどのようなものかが実際に提示されることで背景設定が補強されていると言えます。また、ここで、彼の頑なさが描かれることで次の描写との対比が際立っているとも言えるでしょう。その後、チャップマンの錯誤が解きほぐされていく様子が描かれます。この部分では、当時のチャップマンがメグ・オニールを殺害するに至るまでの過程(回想)が描かれていますが、ここでの描写は非常に示唆的です。

 

火傷させられたように、あどけない顔が歪んだ。ちいさい目が怯えて見開かれた。受け入れてもらえるつもりだったから、彼のほうが不意打ちを受けた気がした~

「どれだけ苦労してきたと思っているんだ。俺が愛したのに、おまえは何も返さないのか。」

メグに生身のチャップマンをぶつけるほど、涙を流して激しく拒絶された。[i]

 

ここでは、チャップマンがメグに性的な関係を求めるも、メグはそのような関係を求めていないがために、チャップマンが拒絶される様子が描かれています。そして、この描写は「好きと嫌い」には錯誤が伴うため、各々の「好きと嫌い」の理由も異なるということを示唆しているように思われます。先に確認しましたように、脳内で「好きと嫌い」についての神経回路と甘さや苦さなどの質についての神経回路は分断されています。そのため、〇〇だから好き は恣意的な結び付けに過ぎません。だからこそ、各々が対象を好きになることの理由も異なると言えるのではないでしょうか。

 

最後に、「好きと嫌い」の錯誤は固有なものではなく、誰にでも起こりうることが提示されます。

 

意識すらしないうちに。ごく自然に、引き寄せられるようにしゃがみ込んで、子供と視線を合わせていた。娘の、妻に似た一途な切れ長の目を覗き込んでいた。チャップマンと接近しているように思えた。だから、この瞬間、娘がそばにいる状況がただ恐かった。~

それが理性の敗北に思えた。小児性愛者を怪物のように扱うことは問題をはさんで世界を向こう側とこちら側に切り分けるのと同じだ~

安全圏など本当はない。言葉になった「好き」は動機と同時に錯誤を生み出し、あらゆる人間を突き動かしているのだ。[ii]

 

ここでは、チャップマンの実験の担当者が自身の娘に引き寄せられていく様子が描かれています。この描写は非常に示唆的です。〇〇だから好きが恣意的な結び付けに過ぎない以上、人々の「好きと嫌い」にはギャップが生じるという可能性がつきまといます。つまり、ある人が〇〇という理由で誰かを好きになったとして、その相手も〇〇という理由でその人を好きになるという保証はないと言えます。だからこそ、人々の関係は薄氷の上に成り立つものである。そのようなことがここでは示されているように思われます。

 

以上のことから、この作品では、チャップマンの錯誤が解きほぐされていく様子の描写を起点に「好きと嫌い」の錯誤が描かれつつ、そのような錯誤が誰にでも起こりうるものだということが示されていました。

 

 

 

5 後書き

 

この作品は『My Humanity』という短編集に収録されたものですが、なかでも、非常に好きな作品です。今回の記事を書くにあたって、この作品を読み返したことでそのことを再確認できました。「好きと嫌い」の錯誤が誰にでも起こりうるということが提示されているということから、この作品は悲観的なビジョンを提示しているようにも思えますが、自分は、人間の関係はそのようなものの上にしか成り立たないし、そのことを自覚したうえでやっていくしかない ということが示されているように思えました。そこにはある種の力強さがあるように思えて、そこが好みですね。 

 

 

[i] 『My Humanity』p103~105

[ii] 『My Humanity』p155、157