『水葬銀貨のイストリア』感想

 

1 前書き

 

今回は『水葬銀貨のイストリア』を読み終えたということで、プレイ後の所感を以下でまとめていきたいと思います。また、以下の内容はネタバレを含みます。

 

2 あらすじ

 

茅ヶ崎英士は誘拐犯の息子であるという経歴から、学園ではドブネズミと呼ばれていた。そのように周囲の人々に避けられる日々を送るなかで、ヒーロ志望の後輩、小不動ゆるぎと出会う。ある日、ゆるぎは部活の成立のために危険な勝負に挑む。英士は彼女を救うべく、持ち前のトランプの腕前を武器に勝負に打って出る。

 

3 所感

①作中の瑕疵について

 

まず、他の方々のレビューにおいても言及されていることですが、本作品では誤字や演出面の瑕疵が多く見られます。一例を挙げますと、演出面ではある人物の立ち絵が一致していないことが挙げられます。また、誤字については以下にあるように誤変換や不要な文字が含まれているといったミスが見られます。

Ex1)立ち絵の不一致(本来は片方の立ち絵がゆるぎである)

 

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Ex2)不要な文字(f夕桜のf)

 

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同ブランドの前作品『紙の上の魔法使い』においても、誤字は見られましたが、本作品では誤字に加え、演出面の瑕疵も目立つことは残念な点であったように思われます。

 

次に、本作品で良かったように思われる点についての確認に移りたいと思います。さて、本作品で良かったように思われる点についてですが、人魚姫の涙という道具立てを媒介に主な視点人物の茅ヶ崎英士の信念についての問題が浮き彫りにされていたこと。そして、そこで浮き彫りにされた問題の解消がTRUE END ルートで描かれていたことから、茅ヶ崎英士という人物と彼にまつわる問題についての掘り下げが丁寧になされていることは良かった点であるように思われます。以下では、そのことについての確認を進めていきます。

 

まず、人魚姫の涙とは何かという前提についての確認から始めたいと思います。それでは、人魚姫の涙とは何かを確認するにあたって、はじめに作中の人魚姫の伝承についての確認から進めていきます。

 

②人魚姫の伝承

 

その昔、涙で他者のあらゆる傷を治癒することが可能な力を持つ少女がいました。そして、少女は銀貨一枚を対価に島の人々の病や傷を治癒し続けました。しかし、少女はある日に高熱を出したことで倒れてしまいました。彼女の涙は他者の傷を治癒することはできるものの、自身の傷や病を治癒することは出来ないため、高熱に苦しめられるなかでも、島の人々の求めに応じて、涙を流し続けました。そして、治療を続けるなかで少女は自身の力は自身の命を削ることで成立していたものであることを悟りました。まさに、涙を流すたびに彼女の容体が悪化の一途を辿っていたことがその事実を物語っていたのです。自身の死が近いことを悟った少女は島の人々への治療を断るようになりました。しかし、島の人々はそのことを許しませんでした。そして、治療を続けることを強制された彼女は死を迎え、彼女の肉体は水葬されました。彼女の死後、島民の間にある異変が発生します。それは、涙を流すことができなくなったという形で現れました。異変のなかで島民は、それが死した少女の呪いであると考え、彼女を供養するために島中の林檎をかき集め、それらを海へと捧げました。しかし、それでも状況は変わらずに人々は涙を流せないままでいる。

 

以上が人魚姫の伝承となります。そして、これは単なる伝承に留まらず、作中では人魚姫の涙の力を持つ人物が実際に描かれています。以下では、先の伝承を下敷きに人魚姫の在り方がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。

 

③人魚姫の在り方 利他性について

 

さて、人魚姫というものが作中でどのように描かれているかについての確認を進めていきたいと思います。まず、伝承にあるように人魚姫の涙の力は当人の命を対価に発言するものです。そして、このことは人魚姫の在り方が利他的なものであることを示唆しているように思われます。(以下 引用)

 

灯「何せ、人魚姫の涙は、利己的な人間には流すことが出来ません。利益を追求するものや、涙を悪用しようとする人間は、絶対に不可能です」

「異常なくらいに、自分を殺して他人を想うことが出来なければ 涙は流せないのです」

 

以上の引用に見られるように、人魚姫の涙は自身よりも他者のことを優先するような人に発現する傾向があるとされています。そして、自身よりも他者のことを優先するという傾向性は人魚姫の在り方が利他的であることを示しています。さらに、実際にそのような傾向性は作中の随所で描かれています。(以下引用)

 

人魚姫の涙はあらゆる傷を治癒してくれる。

一握りの人間にしか許されていないその力を、玖々里は何の躊躇いもなく使ってしまった。

 

 

以上の引用にあるようには、汐入玖々里は人魚姫の涙の力を保有しており、さらにはその力を身近な人々のために使うことに躊躇いがありません。このように、人魚姫の在り方が利他性に特徴づけられることは随所に描写に現れています。

 

次に、人魚姫の涙を媒介に茅ヶ崎英士の信念についての問題がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。まず、それについての確認に移る前に茅ヶ崎英士がどのような背景から信念を形成し、行動をとっているかという前提についての確認から始めます。

 

茅ヶ崎英士の背景について

 

まず、あらすじで確認しましたように茅ヶ崎英士は誘拐犯の息子であり、そのことから学園では煙たがられています。そして、誘拐犯の息子という点の補足になりますが、煤ヶ谷小夜と英士と妹の夕桜は父親の茅ヶ崎征士に誘拐され、監禁されていたという過去があります。そして、長期間の監禁生活のもとで精神的な負荷を受けたことで煤ヶ谷小夜は心に傷を負い、それは茅ヶ崎英士への依存的な傾向という形で現れました。そして、小夜の精神は英士が傍にいることで安定することから英士たちは煤ヶ谷家のもとに養子として迎え入れられます。しかし、英士は、小夜が以前のような明るさを失ってしまったことに負い目を抱いており、彼女の心の傷を治療するための費用を稼ぐべく、カジノへと赴きます。当初は、格下の相手からチップを奪うことで稼ぎを大きく上げていたものの、やがてはそれも通用しなくなり、英士は追い詰められます。そして、英士がカジノへ入り浸っていたことで小夜の精神も不安定になりがちであったことから、英士はハイリスク・ハイリターンのテーブルで勝負に臨むことを決意します。しかし、その場には恩人の煤ヶ谷宗名もいました。彼も小夜を治療するための費用を稼ぐためにその場に立っていたのです。そして、勝負は英士の勝利で終わるものの、カジノのオーナー側の人間から小夜を救うことと引き換えに敗者の宗名を殺害することを要求されます。苦悩の後に英士は宗名を殺害します。その後、治療を受けた小夜は以前(事件前)のような心を取り戻しますが、例外的な治療を受けたことで高額の借金が発生し、小夜はそれを返済するためにカジノで働くことを余儀なくされます。そして、恩人をその手で殺したことと小夜を救いきれなかったことに負い目を抱く英士はカジノへと戻り、小夜の借金を代わりに返済するためにポーカーを続けます。

 

以上が大まかな背景になります。そして、罪を償うために小夜をその手で救いたいという英士の信念は作中の随所で痛ましいほどに描かれています。

 

では、本題の人魚姫の涙を媒介にそのような信念の問題点がどのように描かれているかについての確認に移りたいと思います。

 

⑤信念の利己性について

 

まず、英士は自身が涙を流すことができれば、彼が救いたい人々を一挙に救うことができるという状況に置かれます。そして、先に確認しましたように英士は罪の意識から小夜を救いたいという意識を持っています。ですが、その場面では彼は涙を流すことが出来ないという結果に終わります。この事実は、英士の信念の問題点を浮き彫りにしているように思われます。具体的には、先に確認しましたように人魚姫の涙は利他的な人間のもとに発現するという傾向性があります。そして、英士はまさに小夜を救いたいがために自身の身を削るという在り方から利他的であると言えるように思われますが、結果的に涙を流すことができません。このことは、彼の信念が純粋に利他的なものではなく、誰かを救うことで自身も救われたいという利己的な思いもはらんでいることを示唆しているように思われます。つまり、涙を流すことで彼の信念を達成できるにもかかわらず、そうすることができないという事実は彼の信念が純粋に利他的なものではなく、利己的なものでもあることを浮き彫りしていると言えるように思われます。次に、TRUE END ルートでの問題解消の描かれ方に移る前に個別ルートについての所感の確認に移りたいと思います。

 

(個別 共通①小夜・玖々里)

 

まず、本作品では個別ルートに移行する前に分岐先のヒロインに焦点が当てられた共通ルートが設けられています。ここでは、小夜と玖々里の共通ルートについての確認を進めていきたいと思います。まず、この共通ルートでは祈吏との確執の決着が描かれていた点が良かったように思われます。そして、彼女との主張のぶつけあいでは英士がどのような行動をとるべきであったかという問題についての解答が示唆されています。それは、英士は罪の意識から贖罪を行うのではなく(先に確認しましたように彼の贖罪行為には誰かを救うことで自身も救われたいという思いも内在しており、その意味で利己的なものでもあるように思われます。)罪があるからこそ、罪を自覚的に棚上げにしたうえで身近な人間を苦しめないような行動をとるべきであったというものです。これは冒頭部分で夕桜が示唆していたところでもあり、⑤で確認したような内容の後であるからこそ、その主張が補強されているようにも思われました。

 

 

 

(個別 小夜)

 

あらすじとしては、ポーカーから身を引いた英士が、幼いころの夢を実現するためにトランプを再び握るという話。英士が自身の正体を明かすべきかどうかという葛藤が描かれていますが、自身の正体を口にしそうになってしまうことからも利己的なところが描かれており、茅ヶ崎英士という人間の弱さについての描写は徹底されているという印象を受けました。

 

(個別 玖々里)

 

あらすじとしては、二人が恋人になり、幸せな生活を送るというもの。率直な感想として、あっさりとした終わり方であるように思われました。もう少し、二人の恋人としての生活(例えば、一緒に林檎を食べるという約束は結局描かれていなかったことから、そのあたりの描写をデートシーンとして入れてほしかったという個人的な思いがあります)を見たかったという思いがあります。

 

(個別 共通②夕桜・ゆるぎ)

 

ここでは、夕桜とゆるぎの共通ルートについての確認となります。まず、この共通ルートではバレンタインデーにゆるぎと夕桜が英士と過ごす権利を奪い合うといった展開が描かれていますが、それまでの展開が個人的に重いものであったということもあり、気を楽に読むことができる展開で個人的に良かったところはあります。

(個別 夕桜)

 

あらすじとしては、CAとしての仮面が粉砕され、夕桜と恋人として幸せな生活を過ごすというもの。こちらでも、祈吏との確執の決着が描かれていますが、個人的には小夜・玖々里のほうが好みでした(英士についての問題が指摘されているという点で)

 

(個別 ゆるぎ)

 

あらすじとしては、祖父の死後に進藤和奏は憔悴してしまい、花火への熱意を失ってしまう。しかし、ゆるぎと英士の二人はそのような彼女をどうにかするために奔走するというもの。

このルートでは、進藤和奏についての問題が主に描かれていることもあり、その内容は進藤和奏ルートであるとも言えるような印象も受けました。しかし、最後の問題解消の過程がかなりの急ぎ足で描かれているような印象を受けたこともあり、惜しいように思われました。ゆるぎルートとは別に個別ルートを設けたうえでこのような問題をしっかりと描いてほしかったという個人的な思いがあります。

 

(個別ルート 利己性と利他性)

 

ここまでに個別ルートについての所感を確認してきましたが、先に確認しましたように英士の信念は利己性をはらんでおり、その意味では問題含みであると言えますが、一方で人魚姫の利他的な信念もある意味では問題含みのものとして描かれているところがあります。それは、人魚姫は利他的であるがために自身を切り捨てがちであるところにあるように思われます。以上のことから、利他的な信念も利己的な信念も問題含みのものとして描かれていますが、これらの問題(利他性、利己性を前提としたうえでどのような態度をとるべきか)の解消がTRUE END ルートでは描かれているように思われます。以下では、そのことの確認を進めていきたいと思います。

 

(TRUE END) 

 

TRUE END ルートへの分岐点では英士は涙を流すことができないものの、誰かが犠牲になることをよしとせずに諦めないという選択をとります。その後、英士は問題を解消すべく、周囲の人々への協力を仰ぎますが、他ルートでの展開を念頭に置くとこのような描写は他のルートの描写と対比的な関係にあるように思われます。つまり、他ルートにおいて英士は自罰的な意識から誰かに問題を相談することをよしとせずに自身のうちに抱え込んでいますが、結果的にこのような行動が裏目に出て、誰かが犠牲になるという展開が見られます。一方でTRUE END ルートにおいて英士は自身のうちで問題を抱え込むということをよしとせずに周囲の人々に相談し、結果的にこのような行動が上手く働きます。そして、このような対比を念頭に置くと利己性(英士)と利他性(人魚姫ら)のいずれも相互にコミュニケーションを図らずに問題を内に秘めることがまさに様々な問題を誘引していたということで双方は同じ土台に置かれます。したがって、TRUE END ルートでの描写から利他性と利己性についての問題はいずれが優位であるというような二項対立ではなく、いずれもある点で問題含みであったということが明らかにされているように思われます。そして、その問題こそがコミュニケーションの不足というかたちで描かれていたように思われました。

 

4 後書き

やはり、本作品を読み進めてきたなかで最も印象的な点は茅ヶ崎英士という人物とその人物の問題についての描写にありました。また、利己性や利他性についての問題が描かれている点もとても好みでしたが、商品としての瑕疵が目立つこともあり、評価しづらい作品であることも事実です。ですが、本作品のストーリーを好ましく思う気持ちも事実としてあるため、氏の次回作を楽しみに待ちたいところ。