『なまづま』感想

 

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1 前書き

 

今回は『なまづま』を読み終えたということで、『なまづま』についての所感を以下に纏めていきたいと思います。また、以下の内容にはネタバレが含まれております。ご注意ください。

 

2 あらすじ

 

ヌメリヒトモドキという生物が繁殖を始め、幾つかの年月が経過した後の日本では人々はそれらの存在に嫌悪感を覚えながらも、それが身近にいるという異常な事態に順応しつつあった。ヌメリヒトモドキの研究員の私は、妻を亡くしてからは茫然自失の状態にあった。しかし、ヌメリヒトモドキには人間の感情や記憶を習得する能力が備わっていることを知ったことで、私はある計画を実行に移すことになる。それはヌメリヒトモドキに妻の遺骸を与えつつ、妻についての思い出を語ることでヌメリヒトモドキのうえに妻の意識を再現しようという試みであった。私は、ヌメリヒトモドキの醜悪さに嫌悪感を覚えつつも、妻の蘇生という目的のためにそれの飼育を始める……

 

以上があらすじとなります。では、所感についての確認に移る前に背景設定の確認に移りたいと思います。

 

まず、ヌメリヒトモドキとは何かについての確認から始めたいと思います。

ヌメリヒトモドキの容貌は個体毎に異なり、ナマコのような姿をしているものもいれば、人間に近い姿をしているものもいます。そして、いずれの個体もぬめつくような体液と悪臭をまとっており、そのことでヌメリヒトモドキは公の場では排除される傾向にあります。また、先に確認しましたようにヌメリヒトモドキは人間の感情や記憶を習得するための能力を有しています。ヌメリヒトモドキは対象についての情報を獲得することでその対象の性格や記憶を習得することができます。もっぱら、それは会話を介することでなされ、私も妻の思い出を語ることで妻の意識の再現を図ります。

 

以上が背景設定についての確認となります。では、次に所感についての確認に移りたいと思います。

 

3 所感

 

ここまでに背景設定についての確認を行いましたが、本作品ではヌメリヒトモドキという生物をフックに対象への愛情が何に由来するかということが描かれているように思われました。以下では、いくつかの描写を例にそのことについての確認を進めていきます。

 

まず、先に確認しましたようにヌメリヒトモドキには人間の感情や記憶を習得するための能力が備わっています。そして、私はヌメリヒトモドキに妻の意識を再現しようとします。当初の私はヌメリヒトモドキに嫌悪感を覚えますが、妻の意識を再現したいという思いを糧にヌメリヒトモドキに妻との思い出を語り続けていきます。時間が経つにつれて、ヌメリヒトモドキの容貌は在りし日の妻の姿に近づいていきますが、それに伴い、私の心境にも変化が訪れます。私は生前の妻を愛しており、その愛の深さのために妻の意識の再現を試みているとも言えるのですが、一方で生前の妻の精神の不安定さにある種の不満も抱いていました。しかし、ヌメリヒトモドキの妻は不完全であるがために生前の妻のように不安定さを有していません。そのため、次第に生前の妻にではなく、ヌメリヒトモドキの妻に惹かれていきます。このことは、対象への愛情はその対象自体に起因するものではなく、その対象への理想像に起因することを示唆しているように思われます。この場合、生前の妻よりもヌメリヒトモドキの妻のほうが私の理想を再現しているがためにそれに惹かれていったと言えます。したがって、本作品ではヌメリヒトモドキという生物を媒介に理想と現実のギャップ、ひいては対象への愛情はそれが理想像にどの程度合致しているかによることを浮き彫りにしていると言えるのではないでしょうか。

 

次に、カンナミ研究員という人物を例に先の事柄がどのように反復されているかを確認していきたいと思います。

 

まず、カンナミ研究員とは私と同一の研究所に所属している人物で、私に好意を寄せています。そして、妻を亡くしてからは茫然自失の私を励ますためにあれこれと手を尽くします。しかし、ここで重要である点はカンナミ研究員にとっての私と私の自己認識のあいだに隔たりがあることです。にもかかわらず、カンナミ研究員と私のコミュニケーションは成功しているように思われます。そして、このことは私の性格に由来するところがあります。本作品の随所に書かれているように、私は誰かの誘いや勧めを断ることが苦手な性質であり、そのために誰かの判断に順応するような対応をとりがちです。カンナミ研究員は私を尊敬に値するような研究員であると見なしており、そのことを前提に彼とコミュニケーションをとります。しかし、彼女の認識とは異なり、彼自身は自分のことを尊敬に値するような人物であるとは考えていません。このように認識の隔たりがあるにもかかわらず、先に確認しましたように彼には誰かの判断に順応しがちなところがあるため、カンナミ研究員の想定するような私に沿うように対応をとります。だからこそ、両者のコミュニケーションは一見すると上手くいっているように見えるのだと思います。そして、このような関係性は私とヌメリヒトモドキの関係性と同様に愛情は対象が理想像にどの程度合致しているかに起因することを示唆しているように思われます。何故ならば、私の対応はある意味では相手の理想像を再現するようなもので、その点を加味すると彼女が私に思いを寄せていることもそのことに起因するように思われるからです。

 

以上の二点から、本作品ではヌメリヒトモドキと人間という二つのモチーフを経由したうえで対象への愛情はある意味では当人の理想像に起因するということが描かれていると言えるでしょう。そして、このことが、死者の擬似的な蘇生のなかで段々とそのことが浮き彫りにされていくという構成のもとで描かれていたことは非常に巧妙であるように思われました。

 

4 後書き

 

読み始めた時点では文体に冗長さを覚えたものの、読み進める内にそれがヌメリヒトモドキについてのねばつくような描写と上手く作用しているように思われ、次第に気にならなくなりました。なによりも、本作品の主題がとても好みでした。